2013年9月16日月曜日

秀忠の憂い

 寛永八年(一六三一)

 前年の大晦日間近に、秀忠の体調が悪化し、
正月の参賀などが取りやめとなった。
 そのたか、江戸の城下は賑わいの中にもど
ことなく物足りない正月を迎えた。
 家光は、秀忠の側を片時も離れず、天海に
命じて病気平癒の祈祷をさせるなど、あらゆ
る手段を講じた。
 病床の秀忠が弱々しい声で言った。
「家光。わしは夢半ばでこの世を去るのは口
惜しい。しかしこれも天命。後は、お前に任
せたぞ」
「父上、なにを弱気なことを申されるのです
か。もう時期に良くなります。お気を確かに
なさってください」
「わしには分かるのじゃ。権現様ほどではな
いが、わしも自分の病ぐらいは分かる。それ
よりも心配なのは、お前と忠長のことじゃ」
 家光の弟、忠長は、駿河五十五万石を領し、
駿府城主となっていた。
「父上、ご心配には及びません。兄弟仲良く
やってまいります」
「いや、それはならん。わしとお前のように
父と子ならば、一方が出れば一方が退くこと
もでき、家臣らも従いやすかろう。しかし、
忠長にはそれは無理じゃ」
「忠長には、私がよう言い聞かせて従わせま
す」
「わしも、そう願っておる。しかし、もしも
忠長がお前に従わぬ時は、遠慮なく処罰せい。
生温い処罰で手をこまねいてはならんぞ。ひ
とおもいにやるのじゃ」
「はい、分かりました」
「お前を将軍として良かった。これも権現様
のお導きだったな。よし、忠長を呼べ」
 しばらくして、秀忠の容態悪化を知った忠
長が、慌てて江戸城に駆けつけた。
「父上、お加減はどうですか」
「おお忠長、よう来てくれた。今は少し良う
なった。心配かけてすまなかったな」
「なにを申されます。父上は私にも天下にとっ
ても大事なお方、長生きして頂かなければな
りません」
「わしはもう家光に後の事は託した。お前に
は兄を助け、この天下安泰が末永く続くよう
勤めてもらいたい」
「はい、分かりました。兄上の足手まといに
ならぬよう精進いたします。ですから父上も
見守っていてください」
「それを聞いて安心した。頼んだぞ」
 この後、忠長は家光と会った。
 家光には稲葉正勝が側につき、忠長には正
勝の弟、正利が側近として側についていた。
「兄上、父上のこと、なぜもっと早く知らせ
てはくれなかったのですか。母上の時もそう
でした。なぜこのように、私を邪険になさる
のか」
「忠長、そう言うな。我らは天下を預かって
おるのだ。天下が乱れることに、もっとも注
意を払わねばならない。忠長は父上、母上思
いだから、知ればうろたえるであろう。それ
を恐れてのことだ。察してくれ」
「それだけでしょうか。私はもっと兄上のお
力になりたいと思っているのです。それなの
に、兄上は私になにも命じられません。私は
空しゅうございます」
「では申すが、そなたは何をしておる。駿河
では、そなたの良からぬ噂が広まっておるぞ」
 それを聞いていた正利が、思わず口を挟ん
だ。
「上様に、お恐れながら申し上げます。忠長
様の噂は根も葉もないこと。忠長様は駿河を
まっとうに治められております」
 正勝が制した。
「無礼であるぞ正利。控えよ」
「まあよい。しかし、今の駿河は権現様が治
められていた。その時よりも良くなっている
という話は聞いたことがない」
 これに忠長が言い訳をした。
「それは……。良い領地を維持することも大
事ではないですか」
「そうだな。まぁ、波風を立てぬようにして
おればよい」
「はっ」
 こうして家光と忠長は、疑念とわだかまり
が残ったまま別れた。
 それからしばらくたった頃、上野と信濃の
国境にある浅間山が噴火し、その噴煙は江戸
にまでたっした。
 浅間山の噴火は過去にもあったが、この時
は、ある噂が流れた。それは、噴火する以前
に忠長が近くで神の使いとされていた猿を狩
りした。その祟りではないかと言うのだ。
 浅間山は富士山に通じる霊山とされていた
からだ。
 家光はすぐに忠長を呼び、問いただした。
「兄上、誤解です。確かに近くの山で猿を狩
りましたが、それは猿が増えて領民が農地を
荒らされ、困っておったからにございます」
「そなたの領地でも領民でもあるまい」
「兄上は以前、我らは天下を預かっておると
申されていたではないですか。誰の領地であ
れ、領民が困っているのを助けるのが、天下
を預かっておる者の務め。ましてや神の使い
と言われておる猿とあっては、領主とて手が
出せませぬ」
「それをお前が独断でやったと申すか」
「お忙しい兄上の手を煩わせたくなかったの
です」
「それが余計なことだと申しておるのだ。こ
のことで家臣はなんと思う。相談事は私を通
さぬでも、お前に言えば事足りる。それどこ
ろか、家臣が独断で何でもやれると思うかも
しれん。お前は私の家臣なのだぞ。お前は家
臣でありながら私を兄上と呼ぶ。それは将軍
をないがしろにしておると受け取られてもし
かたあるまい」
「……。はい」
「おって沙汰する。今後は兄上と呼ぶな。上
様と呼べ。下がれ」
「……。ははっ」
 このことを知った稲葉正利は、兄の正勝や
崇伝に赦免の取り成しを訴えた。しかし、忠
長は甲斐に蟄居を命じられた。
 甲斐は、忠長が初めて領地とした場所だっ
た。