2013年4月10日水曜日

本能寺の変

 ねねが信長のいる本能寺に火の手があがっ
たことを知ったのは、秀吉から事前に「京の
方角の異変に警戒をおこたらないように」と
の忠告があったからだ。ただし、ねねはてっ
きり以前から信長に反抗していた一揆の衆が
放火したと思っていた。だからこそ自分たち
に危険が及ぶことを恐れて総持寺に避難する
ことを決めたのだ。
 やがて夜が明け、日が射す頃には詳しい状
況が伝わり、信長の家臣で唯一近くにいた明
智光秀が信長を襲撃して本能寺に火を放った
ことが分かり、ねねたちは驚いた。
 光秀といえば信長の家臣の中でも一番忠誠
心があり、信長の信頼もあつかったからだ。
 以前から光秀は、多くの家臣の面前で信長
のたび重なる暴行や無慈悲な仕打ちをされて
いたの目撃されていたのでよく知られている。
しかし、それはあえて叱られ役を演じていた
のだ。
 なぜなら暴行をされている本人より、それ
を見せられた周りの者のほうが恐怖を感じる
からだ。また、その暴行も下っ端の者にする
より実力のある者にするほうが戒めの効果が
ある。
 信長が本当に光秀を嫌っているのなら、信
長のような周りが敵だらけの者が、暴行して
恨みを抱くかもしれないような家臣だけを近
くにおき、無防備な状態で本能寺にいるとは
考えられない。
 そもそも光秀が自分の恨みだけで軍隊を動
かすだろうか。
 その程度の人物なら信長のそばに仕えるの
は無理だろう。
 では恨み以外の大義名分はあったのだろう
か。
 信長のおこなおうとしている政治に不満を
もつ者は多くいる。それは今始まったことで
はなく、光秀はそれを分かって家臣になった
はずだ。また、大義名分があっての暗殺なら
周到な準備が必要になってくる。
 一般的に少人数の暗殺計画でもすぐに発覚
するのに軍隊を動かすことができるだろうか。
 それに圧倒的な数で襲撃するのに、わざわ
ざ夜中に奇襲する必要があったのだろうか。
 本来なら昼間に堂々と攻撃し、天下に「信
長の悪行を懲らしめる」と宣言するのではな
いだろうか。
 こうした謎は多くあるが、とにかく本能寺
の変が起きた事実は打ち消しようがない。
 ねねのもとに来た知らせによると信長はい
まだ行方知れずで、信長の長男、信忠は、誠
仁親王の御座所・二条御所に逃げ込んだとい
うことだった。しかしそのすぐ後には、明智
軍が二条御所を襲撃し、誠仁親王は逃げ延び
たものの信忠は討死したと伝わった。
 時間がたっても信長の行方は分からず、自
刃したとか逃げ延びているとかの噂で京では
混乱が続いていた。