2013年4月25日木曜日

信長転生

 天下取りがすんなりいかないと予想した秀
吉は、何か度肝を抜く宣伝を用意して苦境の
時の切り札にしようと考えた。
 そこで、信長の死んだ同じ年に生まれてい
た辰之助を信長の生まれ変わりに仕立てるこ
とを思いつき、ねねに頼んでおいたのだ。
 ねねは辰之助が一歳で言葉を話し始めるよ
うになると、何かと信長の話を言い聞かせた。
そして、千宗易にも手伝わせていた。
 宗易は信長の茶頭としての立場上、他の者
が知らない信長の私生活を知ることができた
からだ。
 辰之助は、おとぎ話でも聞かされるように
信長の英雄物語を聞かされ、その話が面白く、
どんどん吸収していった。
 秀吉もそのことは当然知っていたのだが、
まさか三歳で謡曲を謡いこなせるようになる
とは思っていなかった。
 城内では一気に信長が転生した子が現れた
という噂が広まった。
 チベット仏教には、ダライ・ラマのような
活仏がいて、その活仏が亡くなると、その直
後に生まれた赤子に転生するという観念があ
る。
 その赤子は、どこにいるのか分からないの
だが、必ず探し出せるという。しかし、辰之
助は信長が亡くなる前に生まれている。
 そこで秀吉は「不幸にして亡くなると霊魂
がさ迷い、すでに生まれていた赤子にも転生
する」という無理な解釈を押し通すことにし
た。
 魔王とあだ名された信長ならそんなことも
あるだろうと、説得力があった。しかし、秀
吉は、このことを城外にもらしてはならない
とあえて命じた。
 その効果はすぐに現れた。
 尾張、蟹江城は、織田信雄に味方する佐久
間正勝の居城で、信雄の居城、清洲城から西
南のそう遠くない場所にあり、伊勢湾にも近
かった。
 そこで秀吉は、伊勢の長島城にいた滝川一
益に、海から蟹江城を攻めるように命じた。
 一益は天下取りをあきらめ、秀吉に味方し
て以来、いつ隠遁するかを考えていた。
 戦国の世では、武勲のある者が安易に身を
引こうとすれば、敵意があると疑われ、殺さ
れかねない。それを避けるには、戦う力がな
くなったことを示す必要があった。
 この時とばかりに一益は、鉄甲船で名高い
強力な水軍を率いる九鬼嘉隆を伴って、兵七
百人で軍船に乗った。
 蟹江城の城主、佐久間正勝は伊勢に出向い
ていたため、留守役を前田与十郎がしていた。
 一益は与十郎のもとにあらかじめ使者を送
り、信長の転生した子が現れたという極秘情
報を告げさせた。そして、蟹江城を包囲する
と平然と言い放った。
「信長様が尾張にお戻りになる。城を明け渡
せ」
 与十郎は、使者の話の様子からそれを真に
受けて一益に従い、城をすんなりと明け渡し
た。
 次に一益は、蟹江城から西北にある大野城
に主力部隊を向かわせた。
 大野城には、信雄の家臣、山口重政が守備
していた。
 一益の主力部隊は城を包囲し、前田与十郎
の時と同じように使者を送り、信長の転生し
た子の話を聞かせ、開城を促した。しかし、
重政は聞き入れず、密かに、清洲城にいる信
雄と家康に窮状を知らせた。
 知らせを聞いた家康はすぐに動き、海岸沿
いを進んで、奪われていた蟹江城と、これを
守る九鬼水軍を分断した。
 一益の主力部隊が、大野城攻略をあきらめ
て戻った時には、蟹江城は家康と信雄の部隊
に包囲された状態だった。
 家康の猛攻に九鬼嘉隆は命からがら逃げ延
び、なすすべのない一益は、あっさりと降伏
を願い出た。