2013年4月28日日曜日

宗易の説得

 家康は、信雄が秀吉になびかないうちに事
を進めようとあせっていた。
 この頃、家康に味方する香宗我部親泰が、
讃岐を攻略したと聞くと、すぐに家臣の本多
正信を使者として送り、淡路を攻めるように
奨励した。そして家康自身は、伊勢へ進軍し
て上洛を目指すことにした。しかし、秀吉が
美濃へ進軍してきたので、上洛は延期せざる
おえなかった。
 秀吉は、尾張のいたる所に放火させ、家康
を足止めさせた。そして家康の本拠地、三河
を狙う構えを見せた。
 これを機に各地で連鎖反応のように戦が発
生した。
 近畿では、香宗我部親泰の兄、長宗我部元
親が挙兵すると、淡路、摂津、播磨を次々と
攻略した。
 九州では、かつて室町幕府の第十五代将軍
だった足利義昭が、幕府の復興を狙い、毛利
輝元、小早川隆景、吉川元春の毛利一族を介
して島津義久に大友義鎮を討つように要請し
ていた。
 北陸でも、北条氏直が挙兵の準備を進めて
いた。
 こうして秀吉が家康を引き付けている間に、
千宗易が密かに織田信雄のもとに送られた。
 宗易は、秀吉の茶頭、堺商人、茶人という
三つの顔を巧みに使い分けていた。
 信雄の配下にあった叔父の長益は、宗易の
門人であり、茶人として現れた宗易を快く迎
え入れた。
 そこにいた信雄も父、信長の茶頭をしてい
た宗易を歓迎した。
 それに信雄には、宗易にどうしても聞きた
いことがあった。
「宗易も父上が転生したという子のことを存
じておるのか」
「城内でそのような噂があったことは知って
おりますが、今はぱったりと聞かなくなりま
した。そうそう最近、辰之助という三歳にな
るお子が、秀吉様の養子として迎えられ、た
いそうかわいがられておるようです。そのお
子が信長様の亡くなられた年に生まれたとい
うことでそのような噂が流れていたのでしょ
う」
「しかし、その子は父上の南蛮甲冑に金が埋
めてあることを知っておったぞ。もしかして、
父上はまだ生きていて、秀吉の所にいるので
はないのか」
「それは絶対にありません。もしそのような
ことがあれば、秀吉様が小躍りして世間に触
れ回っているでしょう。南蛮甲冑のことは不
思議ではありますが、やはり何者かが知って
いたことを噂したとしか思えません」
「そうであろうか。やはり家康が申しておっ
たように、秀吉の術中にはまるところであっ
たか」
「そうでしょうか。秀吉様は裏表がなく分か
りやすいお方のように存じます。秀吉様は本
心をさらけ出されるので、それを恐れる心が
不信を抱かせるのではないでしょうか。私に
は家康様こそ何をお考えか、とんと分かりか
ねます」
「……」
「明かりは物をよく見せますが、影も作りま
す。その影だけをみて得体が知れないと恐れ
るのはおかしな話。逆に暗がりは影ができま
せんが、そもそも何も見えていません。秀吉
様は明かりのように、良い部分も悪い部分も
見えていますが、家康様は、暗がりではない
でしょうか」