2013年4月22日月曜日

情報戦

 打つ手が見つからずイライラの募る秀吉の
もとに池田恒興が、羽黒の戦いで敗退した娘
婿の森長可を従えてやって来た。
「家康を動かすには、三河の岡崎城を攻めれ
ば兵が退きましょう。どうか、こやつめにも
う一度、機会をお与えください」
 恒興がそう言うと深々と頭を下げた。森長
可はそれよりもさらに深々と顔を地面につけ
んばかりに頭を下げた。
 秀吉も家康の居城である岡崎城を攻めるこ
とは考えていたが、その先の家康の行動がまっ
たく読めなかった。
 チラッと見た先に養子にした十七歳の秀次
が立っていた。
 その時、二人の目が合った。
 秀次は機転をきかせて秀吉のもとに歩み寄っ
て言った。
「そのお役目、私にお命じください。家康め
をしかとひきつけてご覧にいれます」
 秀吉は後継者にしようと考えていた秀次を
試すには、ちょうどよい機会かも知れないと
決断した。
「よう言うた秀次。お前が総大将となり、家
康をしばらくの間、三河で足止めさせよ。よ
いか、戦うことは相成らん。過信は禁物じゃ
ぞ」
「はっ」
 秀吉の行動は早い。軍目付に選んだ堀秀政
に秀次のことを頼み、自分は撤退準備にとり
かかった。
 一方、家康の陣営では、秀吉が撤退してい
るという知らせを聞き、いつもの策略と判断
して対抗する作戦を練った。
 情報戦では秀吉より家康のほうが上手だっ
た。
 こういった場合、家康はもっぱら伊賀衆を
情報収集にあたらせた。
 伊賀衆とは、諜報活動を得意とした伊賀の
技能集団で、普段は庶民として生活を営みな
がら、武家が知ることのできない最下層の情
報を集めることで、動乱を事前に知り、また
動乱を起こす情報を流してかく乱するなどし
て武家に取り入り、生き延びてきた。
 本能寺の変が起きた時、家康が伊賀越えを
して逃亡するのを事前に知っていた伊賀衆が、
道案内をして助けたことから、家康に厚遇さ
れるようになっていた。
 家康のもとには伊賀衆からの情報が次々に
入り、羽柴軍の動きが将棋盤の駒のように正
確に分かっていた。