2013年5月10日金曜日

四面楚歌

 昔、大陸で、楚の項羽と漢の劉邦が争って
いた時のこと。
 やがて劣勢になった項羽が、垓下という所
に砦を築き立てこもった。そこを劉邦が大軍
で四方を取り囲んだ。
 劉邦は民の心をつかんで漢を起こした人物
だけに、項羽にも兵を失うだけの無益な戦い
をしないようにと、情に訴えることにした。
 ある夜、四方の漢軍の中からいっせいに項
羽の故郷、楚の歌が流れてきた。それを聞い
た項羽は(楚の民も劉邦の人柄にひかれて下っ
たに違いない)と、自分から民の心が離れた
ことを悟り、敗北を認めた。
 これが「四面楚歌」のもとになった故事だ。
 秀吉は家康に、小田原征伐での自分の考え
をささやいた。
「家康殿、氏直はそなたの娘婿であったのう。
それに、氏規はそなたの幼き頃からの知り合
い。武力で攻めるより、ここはひとつ四面楚
歌でいこうと思うがどうじゃ」
「そうしていただければ娘を救う手立てもあ
ります。必ずこの戦、関白様の手をわずらわ
せることなく治めてご覧にいれます」
 今まで殺しあいをしていた者たちが親友の
ようになり、親友だった者たちが殺しあいを
する。それが戦国の世だ。
 そうした中でも、秀吉は敵を味方にして思
う存分働かせる術を心得ていた。
 秀吉と家康は、絡んで傷つけあっていた二
頭の龍がほぐれ、自由活発に活動し始めたよ
うに、秀吉は宣伝力を駆使し、家康は情報力
を駆使して共鳴しあい、天下統一を成し遂げ
ようとしていた。