2013年5月5日日曜日

対外政策

 秀吉はしばらく大坂城には戻らず、筑前・
博多に滞在した。
 博多は対馬を挟んで朝鮮を臨む地だ。
 秀吉はこの時、対馬の宗義智を介して朝鮮
王が秀吉に服従しなければ出兵すると勧告し
た。これには二つの狙いがあった。
 その一つは、秀吉が日本の支配者になった
ことを誇示するため。もう一つは、朝鮮が日
本を侵略する意図があるか探るためだ。
 この頃、日本を侵略しようと企てそうな国
は他にもポルトガル、スペイン、オランダが
あった。
 これらの国は、大陸の明を侵略する拠点と
して日本を占領できないか探っていたのであ
る。
 こうした動きはキリシタン大名の松浦隆信
や小西行長らの外交情報や世界的視野を身に
つけた黒田孝高や石田三成らの進言として秀
吉に伝えられていた。
 特にスペインは、当時、最強の艦隊を擁し
て占領政策をすすめ、日本とも同盟して明を
侵略したいと申し出ていた。
 秀吉が博多に滞在した目的の一つには、ス
ペインからやって来たイエズス会の日本準管
区長コエリヨに会うためだった。
 かねてから三成は、スペインが同盟ではな
く、日本を占領する野心があるとみて、コエ
リヨが所有している軍艦の売却を要求して、
その返答で判断するよう秀吉に進言していた。
 秀吉は、九州征伐で大友が装備していた大
砲の威力に魅せられ、コエリヨに大砲を装備
した軍艦の売却を要求した。
 これを拒めばキリシタンに災いが降りかか
ると懸念した小西行長らがコエリヨを説得し
たが聞き入れなかった。
 断りの返答を聞いて激怒した秀吉は、スペ
インに日本侵略の企てありとみて、すぐにキ
リシタン禁止令を出し、宣教師は十日以内に
国外退去するように命令した。
 かつて日本は、広大な大陸を支配する蒙古
に狭い国土を侵略されそうになるという理不
尽な体験があった。さらに今は、大陸を狙う
諸外国の拠点として占領されるかもしれない
という状況にある。
 それを阻止するために、信長が天下統一を
目指し、秀吉が成し遂げようとしていたのだ。