2013年6月13日木曜日

家康との対面

 家康の使者から「領地を戻す」との知らせ
を聞いた秀秋は、すぐに国替えの準備をして、
越前・北ノ庄から筑前の名島城に旅立った。
そしてその途中、家康に転封赦免の礼をする
ため伏見城に立ち寄った。
 大広間に案内されて入ると、そこには家康
の家臣らが居並んでいた。しばらく待ってい
ると家康が上機嫌で現れ、上座に座って秀秋
を優しく手招きした。
「これは秀秋殿。よう参られた」
 秀秋は家康の前に座って黙っていた。
「幼き頃は、よく太閤様に抱かれて野遊びを
楽しんでおられた。あの頃のことを、つい昨
日のことのように思い出しますなぁ」
 家康は懐かしそうに顔をほころばせた。
 秀秋も、秀吉とあまり年の差のない家康の
顔にしわが多くなったのを見て、時の流れを
感じた。
 幼かった秀秋は、まだ若い家康を這いつく
ばらせ、馬乗りになって遊んだこともあった。
それを秀吉は笑いながら見ていた。
 家康も秀吉の手前、それを怒りもせず喜ん
で付き合う振りをしていたのだ。
 幼い秀秋はそうとも知らず、無邪気にはしゃ
いだ。
 ふとその頃がよみがえり、それが態度にで
た。
「家康ともよく遊んだことを覚えている」
 家康は一瞬、秀秋をにらみつけた。
 居並ぶ家臣たちもざわついた。しかし、家
康は一つ咳払いをしてその場を静め、すぐ笑
みを浮かべた。
「そうそう、太閤様のご遺言により、秀秋殿
の以前の領地が戻されることが決まりました
な。よろしゅうござった」
「その礼に参った。家康が力添えをしてくれ
たおかげだ。今後、役に立てることがあれば
何なりと申せ」
 それを聞いた家康は強い口調になった。
「ほほぅ、秀秋殿に助けてもらうようでは、
わしも隠居せねばならんのぅ」
 家康の家臣たちは、秀秋を覚めた目で見つ
め苦笑した。そこではじめて秀秋は「はっ」
と表情を変えて平伏した。
(しまった。俺は小早川、豊臣ではなかった)
 秀秋は我にかえり、家康にとって今の自分
は、身分の低いただの小僧でしかないことに
気づいた。
 家康はわざと高笑いを続け、家臣たちもそ
れに促されるように、声に出して笑い出した。
そして、秀秋の無作法を小声でけなし始めた。
「虫けらごときが殿の駕籠(かご)を担ぐとよ」
「ほお、それは見物だわ。駕籠にたどり着く
前に草履(ぞうり)で踏み潰されるのがおちじゃ」
 秀秋の握りこぶしに力が入った。
(身分とはこうも違うものなのか。だが見て
おれ、いつかこの借りは必ず返す)
 この頃、「イソップ寓話集」が天草で出版
されるようになったのだが、その中に「ライ
オンとネズミ」の話がある。

 ある日、ライオンが気持ちよく寝ていると、
何者かに眠りを妨げられた。
 見るとネズミが身体を駆け回っていた。
 ライオンは怒って、ネズミを捕まえると殺
そうとした。
 哀れなネズミは必死に命乞いをした。 
「どうか命を助けて下さい」
 そんなネズミをライオンは、気まぐれで許
してやることにした。
 するとネズミは言った。
「ありがとうございます。このご恩は決して
忘れません。いつか必ず恩返しを致します」
「お前ごときの恩返しがどれほどのものか」 
 ライオンはそう言うと、大声で笑ってネズ
ミを逃がしてやった。
 それから数日後、ライオンは猟師の仕掛け
た網にかかって動けなくなってしまった。そ
の時、ネズミがライオンのうなり声に気づい
た。そしてすぐに仲間を呼んでライオンのも
とに行き、無数のネズミたちが歯でロープを
ガリガリとかじって、ライオンを逃がしてやっ
た。 
 その後、ネズミは言った。 
「この前、あなたは私を笑いましたが、私に
だってあなたを助ける知恵があるんですよ。
どうです、立派な恩返しだったでしょう」

 秀秋はこの話のように、いつか実現させる
と心に誓った。
 突然、家康は思い出したように膝を叩いた。
「そうじゃ、そうじゃ。秀秋殿。わしのとこ
ろに浪人がたくさん集まって、仕官したいと
言ってきて困っておるのじゃ。秀秋殿に連れ
て行ってもらえんじゃろうか」
「ははぁ、喜んでお引き受けいたします」
 秀秋が家康から押し付けられた浪人は千人
に近かった。それらの中には、家康の家臣と
思われる者も多数、含まれていた。しかし、
秀秋はそれを気にするそぶりも見せず、皆を
引き連れて筑前・名島城に向かった。