2013年6月25日火曜日

無血入城

 松尾山城には、すでに西軍の伊藤盛正が布
陣して待機していた。
 そこへ突然、秀秋の部隊兵一万五千人がな
だれ込み、慌てる伊藤を無視して布陣の準備
を始めた。
 この時、伊藤はまだ秀秋が西軍だと錯覚し
ていた。
 稲葉正成が、あ然としている伊藤に近づい
た。
「われら兵多勢により、適当な布陣場所はこ
こしかない。伊藤殿にはお引取り願います」
 伊藤は怒りと屈辱に身体が震えた。
「こ、これは宇喜多殿、石田殿は承知のこと
か」
 稲葉は無視するように、布陣の様子を見ま
わった。
 伊藤が混乱している間にも、すでに準備は
整いつつあり、大部隊になすすべもなく引き
下がるしかなかった。
 このあっけない無血入城により、秀秋は、
西軍の鶴翼の陣の一角を崩して東軍として一
番手柄を立てた。また、南宮山の毛利秀元ら
の部隊をけん制することで西軍に寝返ること
を難しくし、東軍を攻撃できない状態とした。
 この結果、東軍を「秀吉から東の統治を任
された徳川家と西の統治を任された毛利家の
連合軍」とすることができ、一方の西軍を「秀
家、三成にそそのかされて集まった反乱軍」
にしたてることで、これを討伐するという大
義名分を与える効果もあった。
 秀秋の将兵は、これで戦わずに生きて家族
のもとに帰れると、狂喜し歓声を上げた。そ
して、あとは東軍の勝利を待つだけとなった。

 秀秋が、松尾山城内を見まわると兵糧や大
砲、火箭なども準備され、西軍は、いざとなっ
たら籠城する構えだったことをうかがわせて
いた。
(さすが三成、手抜かりがない。しかし、こ
れを少数の兵に守らせていたとは……。味方
する者が少なすぎる)
 戦は兵の数で勝敗が決まるわけではないが、
豊臣恩顧の諸大名が家康に味方していること
からも、西軍の結束力のなさは明らかで致命
的な欠陥だった。
 ところが、これだけの兵糧や武器を準備し
ているのに、金銀が見当たらないことを秀秋
は不審に思った。
 西軍に集まった諸大名をつなぎとめる唯一
のものが軍資金だからだ。そうでなければ、
領地が疲弊している西軍の諸大名は合戦に参
加できない。
 秀秋のもとにも三成から、「軍資金の心配
はする必要はない」と、それとなく伝えられ
ていた。この言葉が嘘でなければ、三成のこ
とだから、城に複数ある曲輪のどこかに軍資
金も隠しているのではないかと考え、秀秋は
東軍の勝利を待っている間、家臣に探すよう
に命じた。

 桃配山に布陣した家康は、秀秋の鮮やかな
手並みに感嘆し、戦わずして勝利を得たこと
に安堵して言った。
「おお、これは。我らはまるで尾をなびかせ、
翼を広げた鳳凰のような陣形になったではな
いか。これで勝負あった。秀秋殿の一番手柄
じゃ。さすが藤原惺窩の愛弟子、兵法の真髄
をみた思いじゃわい。わしの家臣にもあのよ
うな者がおればのう」
 この言葉をイエズス会宣教師の通訳が、側
で日本の合戦の様子を不安そうに見守ってい
たアダムスや異国人らに説明すると、驚嘆の
声をあげた。