2013年6月7日金曜日

救援部隊

 釜山浦城から蔚山城までは馬でも二時間は
かかる。それに真冬の中、急げば体力を消耗
するだけだ。
 秀秋はあせる気持ちを抑えて、ゆっくりと
部隊を進めた。そして、蔚山城に近づくにつ
れ、徐々に馬を速足にして馬体を温めさせた。
 この頃、すでに到着していた日本軍の救援
部隊は、蔚山城を包囲している明・朝鮮連合
軍から見える小高い場所に集結し、無数の幟
を立てて待機していた。
 あえて目立つようにしたのは、明・朝鮮連
合軍が自分たちに気づき撤退するかもしれな
いと考えたからだ。しかし、いっこうにその
様子はなかった。
 それどころか、もうすぐ明・朝鮮連合軍の
総攻撃が始まろうとしていた。
 救援部隊には、黒田長政、島津豊久、毛利
秀元、鍋島直茂、勝茂の父子が参加していた。
 五人は集まり、結論の出ない謀議を繰り返
していた。そこに、明・朝鮮連合軍を探索し
ていた兵卒が戻って来て告げた。
「敵が総攻撃態勢を整えました」
 長政が険しい顔でつぶやくように一言。
「分った」
 とっさに直茂が言った。
「もう時間の猶予はござらぬ。こちらから総
攻撃を仕掛け、奴らを追い払おうぞ」
 豊久がそれに反論する。
「いや、それでは清正殿の身に危険が及ぶ。
ここは使者をたて、話し合いに持ち込むほう
が得策」
 勝茂は父の直茂に同調した。
「何を悠長なことを。このままでは手遅れに
なりますぞ」
 長政は言い争いになりそうな豊久と勝茂の
間に入って言った。
「清正殿は太閤様の秘蔵っ子。うかつなこと
をして、もしものことがあれば、われらが太
閤様の怒りを買うだけだ」
 豊久が、長政に付け足すように言った。
「敵が今まで攻撃しなかったのも清正殿の武
勇が知れ渡り恐れてのこと。話し合いに必ず
乗ってきます。われらが危険を犯す必要など
ありません」
 五人のこうした話し合いはなおも続いた。
 しばらくすると、城の方から気勢が上がり、
明・朝鮮連合軍の総攻撃が開始された。
 それを五人は呆然と立ち尽くして見ている
しかなかった。
 その時、城を遠巻きに待機していた日本軍
の側を、一瞬の閃光と共に風が吹いた。
 それは、槍を振りかざし、面頬を着けた秀
秋とその後に続く騎馬隊が、包囲している明・
朝鮮連合軍に疾風のごとく突き進んで行く姿
だった。
 秀秋は槍を振り上げて馬を走らせた。
 それに柳生宗章が続いた。
 岩見重太郎を先頭にした小早川家の家臣た
ちが雄たけびをあげて突き進む。
 それに少し遅れて、稲葉正成を先頭にした
豊臣家の元家臣たちがなだれ込んだ。
 驚いたのは待機していた日本軍の救援部隊
だった。
 長政が叫んだ。
「総大将」
 話し合いをしていた五人は、慌てて出撃の
準備に散った。
 秀秋率いる騎馬隊は、ざっと二千騎。その
後を歩兵の約四千人が走る。
 その長い隊列は、城を攻撃している明・朝
鮮連合軍の背後に迫った。
 秀秋には、この突撃での勝算があった。
 それは、明・朝鮮連合軍の兵六万人がすべ
て精鋭の軍人であるはずはなく、その中には
軍人ではない農民なども駆り出されていた。
 よく武具を見れば、その違いが分かったか
らだ。
 こうした弱点を攻撃すれば崩せるとにらん
での突撃だった。
 明・朝鮮連合軍は、明や朝鮮でも名の知れ
た日本の誇りである加藤清正が人質状態にあ
るため、日本軍の救援部隊は攻撃してこない
とあなどり、城の攻撃に気をとられていた。
 そのため、いきなり背後から不意を突かれ
て次々になぎ倒されていった。
 秀秋が、慌てて逃げる朝鮮の兵卒に野獣の
ように容赦なく襲いかかり、後に続く騎馬隊
も城の周りに押し寄せ、四方に散らばった。
 なおも秀秋は、混乱の中から抜け出たかと
思うとまた突っ込み、馬をせきたてて縦横無
尽に駆け巡った。
 岩見の隊列と稲葉の隊列は二手に別れて、
しばらくは連携せず、無秩序に攻撃した。