2013年6月22日土曜日

戦闘準備

 家康は、なかなか言うことを聞かない秀秋
に業を煮やしたが、再度使者を送り、「東軍
が勝った時には備前と美作を封ずる」と伝え
て、餌で誘いにのるかを探った。
 備前と美作は五十一万石で、秀秋の所領で
ある筑前、筑後、肥後の三十万石に比べれば
大幅な加増となる。しかし、今は西軍の総大
将、宇喜多秀家の領地だ。
 家康としては「この領地を戦で勝ち取れ、
そして、豊臣家の養子で五大老のひとり、秀
家を超えろ」ということだろう。
 秀秋は、「たいした魅力のない餌を送って
きたものだ」と思ったが、それでも自分が敵
にしたくない存在となっていることは分かっ
たので、しばらくのらりくらりと受け流し、
ようやく使者に家康の出兵要請を受け入れる
と伝えた。
 すぐに秀秋は、稲葉に戦の準備をするよう
に命じた。
 次の日から秀秋の部隊は、巻狩りを装って
の軍事演習を行うようになった。
 日の照りつける中、陣形を確認して、騎馬
隊と足軽が一体となって行動するように何度
も山野を走らせた。
 夜は草むらに這い、索敵の訓練を繰り返し
た。
 軍事演習の合間には、巻狩りで獲ってきた
イノシシやウサギなどで栄養をつけ、交替で
休息した。
 秀秋の部隊は、小早川家、元豊臣家、そし
て家康に送り込まれた浪人たちの混成部隊だっ
たので、まとめるのは難しかった。
 皆、年齢も体力も考え方も全て違う。だか
ら秀秋は、思想を一つに統一しようとは考え
なかった。
 対立が起きるのは、それぞれの違いを認め
ず、自分の思想や知識を押し付けようとする
からだ。
 この時代は、世界が平だと思われていたも
のが丸いと気づき始めていた。しかし、世界
は人が誕生する前から丸い。人の思想や知識
で変わったわけではない。そんないい加減な
人の思想や知識など、統一するのは調和を乱
し、発展を遅らせてしまうだけだ。
 宗教にしても、宗派によっては考え方が違
う。もし統一できるのなら世界は一つの宗教
でいいはずだ。秀秋の師、藤原惺窩も仏教に
疑問を感じて儒学にその答えを見つけようと
していた。
 儒学では、人の思想や知識の及ばない自然
を手本としていた。
 自然が多様なものを生み出すように、家臣
の一人一人に特徴がある。
 秀秋は、その特徴を活かせる役割に家臣を
就かせただけで、他は干渉しなかった。どう
いう思想をもっているのか、好きか嫌いかは
関係ない。
 孫子の兵法でも軍隊の理想は「水に形どる」
とある。
 例えば巻狩りでは、走って獲物を追い回す
者、待ち伏せする者、獲った獲物を料理する
者、中には食べるだけの者もいたが、その者
は巻狩りという仕事には役割がなかっただけ
で、別の仕事で役割を見つければいい。それ
なのに、これを皆、同じ役割にしたり、役割
を無理やりおしつけたりするとどうなるか。
不満が高まり作業効率も低下して目的は達成
できない。このことに気づけば対立もなくせ
る。
 こうして秀秋は、惺窩から学んだ学問を実
践で使えるか試そうとしていた。するとそこ
には、小早川家、元豊臣家、家康に送り込ま
れた浪人といった区別はなくなり、秀秋と共
に戦う「無形の部隊」が誕生した。