2013年8月13日火曜日

真田家

 真田幸村は、大坂城の外堀の東に自ら築い
た曲輪で、徳川勢の攻撃に備えていた。その
徳川勢の中には兄の信幸がいた。

 二人のふるさとである信州は、本能寺の変
の直後、北条家と徳川家の対立する戦地とな
り、父、昌幸は徳川家を頼り、信幸を人質に
送った。
 やがて豊臣秀吉が権力を握ると昌幸は、孤
立を深める徳川家に領地を奪われるのではな
いかと不信感を抱いた。そこで秀吉に幸村を
人質に送って支援を求めた。
 家康が居城、上田城に攻めてきた時は父と
兄弟が一丸となって防戦し、秀吉の命で救援
に駆けつけた上杉景勝の力添えもあって、家
康を撃退した。
 ところが、秀吉が家康を家臣に加えてしまっ
た。そのため信幸は、家康の重臣、本多忠勝
の娘を嫁にとり、幸村は、秀吉に重用されて
いた大谷吉継の娘を嫁とした。そして、秀吉
のおこなった小田原城攻めでは、再び父と兄
弟が一緒に戦い、上野、武蔵で武功を上げた。
 そんな融和な日々も、秀吉が亡くなると一
変した。
 豊臣家内部の分裂に乗じて、家康が主導権
を握り、上杉景勝を征伐する動きにでると、
昌幸、幸村親子は恩義のある景勝に味方し、
上田城に籠もった。それに対して信幸は家康
に味方し、徳川勢が上杉征伐に向かうための
重要拠点であった居城、沼田城を守った。
 この時、上田城を攻めたのが秀忠で、質素
な小城の様子と簡単に攻め落とせるとあなど
り、また、家康から与えられた最強の武器で
ある大砲の威力も試したいと、通り過ぎるこ
ともできたものを攻撃し始めた。
 これに対して昌幸、幸村親子の城外から撃っ
て出る神出鬼没の戦法に、秀忠の部隊は翻弄
され、気づいた時には主戦場である関ヶ原に
は到底間に合わない状態となっていた。
 上田城では、三万人を超える秀忠の大軍を
足止めさせたことで、関ヶ原での勝利を確信
したが、その後の知らせで味方の西軍があっ
けなく敗北し、幸村の義父、大谷吉継は自刃
したという知らせを聞き、昌幸、幸村親子は
落胆した。
 一時は自刃することも考えた昌幸、幸村親
子だったが、信幸が家康に懇願したことで、
高野山山麓にある九度山に幽居されることで
命は救われた。
 父、昌幸が亡くなった後も幸村は、辛い日々
を耐えていたが、豊臣秀頼が浪人を集めてい
ることを知り、密かに下山して、大坂城に入っ
たのである。

 幸村は、義父、大谷吉継の無念をはらそう
と闘志をみなぎらせ、義父から受け継いだ智
謀を遺憾なく発揮する機会を得たことを喜ん
でいた。
 幸村の曲輪に、突然、三万人を超える徳川
勢の大軍がゆっくりと迫って来た。
 警戒していた物見の兵卒が慌てて幸村を呼
びに行った。
 幸村は、一緒に守備していた長宗我部盛親
と現れ、目の前に溢れる敵の軍勢を悠然と眺
めた。
 盛親が目を凝らして言った。
「あの旗指物は葵か。秀忠がじきじきに出向
いて来たのか」
 幸村は大軍を凝視して、黙ったまま応えな
かった。
 そのうち大軍は整列して止まると、中から
一騎がゆっくりと進み出て、曲輪に近づいて
来た。
「あれは秀忠ではないか」
 盛親が唖然として幸村を見た。
 幸村はそれに黙ってうなずくだけだった。
 周りの兵卒たちがざわつき、鉄砲を準備し
始めた。それを見て、幸村が始めて叫ぶよう
に言った。
「待て。鉄砲を納めよ。これは挑発じゃ。相
手にしてはならんぞ」
 秀忠の乗った馬は、曲輪の前で止まり、秀
忠は幸村らに向かって叫ぶように言った。
「幸村殿、お久しぶりじゃのう」
 盛親が怪訝な顔で、幸村に聞いた。
「幸村。そなたの名は信繁ではないか」
「幸村はわしのあだ名。田舎者ということじゃ」
 幸村は苦笑いした。
 秀忠は続けて言った。
「こたびはそなたの兄、信幸殿が病により参
陣しておらん。その代わりに子の信吉殿と信
政殿が参陣された。立派になられておるぞ。
では、また上杉征伐の時のようによろしく頼
む」
 そう言って秀忠は、ゆっくりと戻り始めた。
 盛親が不信そうな顔をして黙った。それを
見た幸村が動揺して、秀忠に向かって叫んだ。
「待て秀忠。そのような挑発にわしはのらん
ぞ。おのれは戦って勝てんから、このような
戯言で、わしらが仲違いすることを狙ってお
るのだろうが、わしはおのれの首を獲るまで
戦い続ける。正々堂々と戦え。前に家康は戦
で糞を漏らしたそうだが、おのれは飯ものど
を通らず、糞も漏れんのだろう」
 幸村の罵声はなおも続いたが、秀忠は片手
を上げて、それに応えるように立ち去った。
 盛親は哀れむような顔で幸村を見ていた。
 幸村は、われにかえると完全に孤立したこ
とを悟った。そして、徳川勢に一矢報いる方
策を一心不乱に考えるのみと迷いを断った。