2013年8月3日土曜日

淀の兵法

「兵法……。これのどこが兵法にかなってお
ると言うのじゃ。己の味方になる者たちを殺
いておるということじゃぞ」
「それで誰が疑われ、世間がどう見るかにご
ざいます」
「もしや……。もしやこれは、秀吉が得意と
した世間に徳川の悪行を吹聴するやり方か」
「はい。そうとしか思えません。このところ
幕府は度々、城普請をしており、諸大名の負
担が増しております。その一方、豊臣家は、
寺社の修復、造営を盛大におこない、秀吉公
が建立した方広寺大仏殿の再建もそのひとつ
です。このどちらを世間は歓迎するでしょう
か」
「そうか。築城は戦の準備と受け取られ、寺
社の復興は天下泰平を願うおこないと思う。
いともたやすく豊臣家の評判は高まる。それ
でさらにわしらを苦境に追いやり、豊臣家の
支持を集めようとしておるのか」
「はい。大御所様、ご明察のとおりにござい
ます」
「しかし、清正や幸長、義久までもが暗殺さ
れるとは……」
「いえ。これは暗殺ではないと思います。自
ら命を絶ったのではないかと」
「ええ……、それは、それはどういうことじゃ」
「淀殿には、なにやら人を惹きつけるものが
ございます。これは、おなごだからというこ
とではなく、多くの家臣が主君のために命を
なげだすようなものにございます」
「まやかしか。道春、そなたは淀殿の兵法を
どう見る」
「秀吉公が淀殿に伝えた兵法は『遁甲』では
ないかと察します」
「遁甲……。明に伝わる、遁れる兵法のこと
か」
「そうにございます。遁甲の極意は攻めるこ
とにあります。死を覚悟して一歩も退かず、
攻め続けるように見せかけることこそ、遁れ
やすくなるのです」
「しかし、遁甲というのは変貌自在な陣形の
こと。こたびのことにどう関係していると言
うのじゃ」
「確かに、明で伝わっている遁甲はそうです
が、信長公が、それとは違った遁甲を実践さ
れておりました。大御所様も付城はご存知で
は」
「おお、知っておる。信長公はよく敵の城の
周りに、いくつも砦を造り、囲っておった」
「そうなのです。信長公は、領地の周りに多
くの敵をかかえ、それを一度に相手にされて
いました。その時に、付城を敵の拠点となる
城の近くに造り、その城を囲います。これを
それぞれの敵におこない、うかつに攻撃でき
ないように警戒させます。大事なのはここか
らで、それぞれの付城には多くの兵がいるよ
うにみせかけ、その実、大半の兵は別の戦場
に駆けつけて戦い、終わるとすばやく移動す
ることにあります」
「そうじゃそうじゃ。信長公はそのような戦
い方をされておった。……そうか、それを実
際にやっておったのは秀吉公ということか」
「その通りにございます。秀吉公は、いかに
早く付城を造り、瞬時に移動するかを考える
役目にございました。皮肉なことに、それが
いかんなく発揮されたのは、秀吉公が備中の
高松城を水攻めにしていた時に起きた、本能
寺の変にございます」
「ふむ、そう言われれば、あの時の秀吉公の
京に退きかえす早さはまさに付城の戦い方と
同じじゃった。それにあの時は、たしか毛利
と勝ちに等しい和睦をした上での帰陣じゃっ
たと聞いておる。これが攻めの姿勢か。秀吉
公は摩訶不思議なことをやるお方じゃと恐れ
をなしたものじゃ」
「それこそが遁甲にほかなりません。秀吉公
は高松城を水攻めにしてすぐに、大半の兵を
京に向かわせていたのです」
「その遁甲を淀殿に伝授したというのか」
「はい。秀吉公は戦になると度々淀殿を呼ん
でおりました。それはたんに好きなおなごだ
からではありません。実戦を見せて兵法を教
えるためにございます」
「しかし何ゆえ、わしに刃向かって遁れよう
とするのか」
「それは、刃向かっているのではなく、大御
所様の誠実なことが分かったからではないで
しょうか。このまま豊臣家が残れば、少しで
も世が乱れると幕府への不満に乗じて、かつ
ての豊臣の世になることを望む者が現れるか
もしれません。そうなれば、源平の時のよう
な乱世になり、大御所様の心遣いを、無にす
ることになりかねません。そこで、豊臣家と
豊臣恩顧の諸大名をこの世から消し去ろうと
しているように思うのですが」
「そのようなことを……。淀殿はそのような
ことを考えるお方なのか」
「それは、もうじき分かるのではないでしょ
うか」