2013年8月30日金曜日

武士の知恵

 道春が京の自宅に居たところ、石川丈山が
訪ねて来た。
 丈山は、道春と同年齢で、母は本多正信の
姉だった。自身も武芸に優れていたため、十
六歳の時から家康に目をかけられ、近侍とし
て仕えた。まだこの頃は、武士としての出世
を強く望んでいた。それが災いして、二度目
の大坂の合戦では、先陣争いを禁じた軍律を
破ったことで、戦功を挙げたにもかかわらず
処罰された。
 これをきっかけに今は武士をやめ、妙心寺
で禅僧の道を歩んでいた。
 道春とは駿府に赴いた頃から知り合い、気
心を通わせていた。
「道春殿、お久しぶりです」
「これはこれは丈山殿、少し痩せたように見
えるが、禅の道は険しそうだな。さあ、上がっ
てくれ」
 道春に促されて座敷に通された丈山は、座
ると深刻な表情を浮かべた。
「わしはこれまでの自分の人生を振り返り、
何が良かったのか、何が間違っていたのか、
それを禅から見出そうとした。しかし、分か
らんのだ。武士は今まで何をしてきたのか。
ただの人殺しだったのか。この世にいてはい
けなかったのか。大御所様に誠心誠意尽くし
てきたことは、間違いだったというのか。道
春殿、そなたの学んでいる儒学には、その答
えがあるのか」
「それにお答えするのは私ではなく、惺窩先
生のほうがよろしいでしょう。どうです、会
いに行きませんか」
「それはもう。しかし、お会いできるのでしょ
うか」
「もちろん。早速、行きましょうか」
「えぇ。今からですか」
「早いほうがよろしい」
 道春はすぐに立ち、出かける仕度をした。
 丈山も立ち上がり、道春を待って、藤原惺
窩の邸宅に向かった。
 その頃、惺窩は多くの弟子に指示をあたえ、
慌ただしくしていた。
 しばらくして道春の姿が見えると笑顔で迎
えた。
「羅山、こっちに戻っておったのか」
「先生、ご無沙汰をしておりました。今日は、
友を連れて参りました。どうか友の悩みを聞
いてやってください」
「石川丈山と申します。惺窩先生にお目にか
かれて光栄にございます」
「藤原惺窩です。ようお越しくださいました。
あわただしゅうしておりますが、遠慮せず上
がってください。それはそうと羅山、しばら
くこっちにおるのなら、弟子の相手をしてく
れ。わしだけではもう限界じゃ。歳のせいか
疲れた」
「はい。分かりました」
 三人は座敷に座り、藤原惺窩と道春は、石
川丈山の生い立ちやこれまでの生き様、道春
に打ち明けた悩みなどに深く聞き入った。
 惺窩が少し涙ぐみ、丈山をねぎらった。
「丈山殿、先の大坂の合戦は大変であったの
う」
「はい。それはもう、生き地獄にございまし
た」
「しかし、それが人の本性。人は残酷なこと
が苦もなくできる。いや、丈山殿のように、
悩みながら人を殺しておるのかもしれん。儒
学でもその善悪を決めることはできません。
なぜなら、それが自然の中にあるからです。
自然とは残酷なもの。何もかもちゅうちょな
く破壊します。だが、私たちはそこから恩恵
を得ているのも事実です。雨が田畑に降れば、
稲や野菜を育て実りをもたらしますが、人に
とってはなんぎなものです。ひとたび大雨と
もなれば、すべてをなんのためらいもなく破
壊し、流し去ります。地震や台風も人を区別
なく殺すだけで無用に思われますが、自然の
調和を保つのには必要なのでしょう。それは
武士とて同じことではないでしょうか。領民
の中には、武士を憎む者もおりましょうが、
武士を都合よく利用している者もおります。
さしあたり私や道春もそれらの者と同じかも
しれませんね。しかし、大御所様が大坂の合
戦により、武士が自らの手で、武士の世を終
わらせ、今は秀忠様により、それを継承しよ
うとされておられることは、ご立派としか言
いようがありません。丈山殿が大御所様に誠
の忠義を貫こうとされるのであれば、武士の
力ではなく、武士の知恵で領民の暮らしを向
上させる仕事をされるのがよろしいのではな
いでしょうか」
「武士の知恵」
「さよう。兵法はなにも、戦うためだけに用
いるものではありません。秩序がなく乱れた
ところに秩序をもたらし、障害を取り除くこ
とにも利用できます。これからはそうした武
士の知恵を教化しなければならない、と私は
思っているのです」
「惺窩先生、どうか私にもその知恵をお授け
ください」
「いっしょに学びますか」
「はい」
「羅山、そなたもこれからは少し暇になろう。
丈山殿のように、武士としてどう生きるべき
か悩んでおられるお方がこれからは沢山現れ
る。そのお方らの力になりなさい」
「はい、私もまだまだ多くを学ばなければな
りません。いっしょに学んでまいります」
「道春か。大御所様がそなたに与えたその号
は、これからのことを予期されていたのかも
しれんな」
「誠に。今思えば、権現様と呼ばれるにふさ
わしいお方でした」
 三人は一時、談笑して別れ、しばらくして
丈山は、禅の修業を辞め、惺窩の門人となっ
た。
 道春は、家康が亡くなって暇になるどころ
か、多くの諸大名や旗本が侍講を依頼してき
た。それには、秀忠が諸大名を次々と改易し
たため、次は自分かと恐れをなした諸大名や
旗本らが、家康の侍講を勤めていた道春に学
んでいれば改易を遁れられるのではないかと
考えたためだ。
 このため道春は、諸大名や旗本の屋敷に招
かれることが多くなり、東奔西走する慌ただ
しい毎日となっていった。