2013年8月9日金曜日

豊臣家の誇り

 深夜、大坂城の一室だけに灯りがともって
いた。
 豊臣秀頼とその母、淀は、二人っきりで会
い、淀は、懐から片桐且元の密書を取り出し
て秀頼に読ませた。
「大御所様は『国家安康』『君臣豊楽』の本
当の意味がお分かりになったようです。こち
らの望みどおり、決戦を受けてくださいます。
それに念を押すように、戦をもって戦を制す
るとは。道春様はどうやらこちらの意図を見
抜いておられるご様子。私のことも知ってい
ます」
「母上は、道春というお方をご存知なのです
か」
「以前、道春様は、藤原惺窩先生のお弟子さ
んとの知らせがありました。そして、私のこ
とを知っているお方といえば、辰之助様以外
には考えられない。辰之助様は秀秋と名乗ら
れ、もうこの世にはおられないと聞いており
ました。それがまだ生きていらっしゃったと
は」
 淀は声を潜めて泣いた。
「秀秋。母上がよく思い出で語られていた、
あの小早川秀秋殿のことですか」
「そうです」
「しかし、それがなぜ分かったのですか」
「それはその密書の後の方に書かれています。
『武士は武士らしく戦って死ぬことを選ぶよ
うに千の方に説得させる』と。これは『千の
方を連れて行くな』ということです。そして
『堀を埋めれば、新たに抜け穴を掘るのは短
くてすむので、監視を怠らないように』とは、
抜け穴は堀を避けよということです。この道
春様の二つの疑念は、私たちが遁れるための
条件にございます」
「では、千は連れて行けないのですか」
「はい。それに、子らも連れて行けません」
 秀頼には、側室との間に嫡男、国松と娘、
奈阿がいた。
「なぜです、母上」
「千の方は秀忠様のお子。もとよりお返しす
るつもりでした。それは上様もお分かりのは
ず。子らを連れて行けなくなったのは、抜け
穴を通れぬからです。それに、こたびの戦で
多くの者が死にます。私たちだけ無傷で遁れ
ることはできません。これから行く末は、生
き地獄にございます。子らを千の方にお預け
すれば、国松は無理としても、奈阿は、ある
いは生きる術もございましょう」
「ならば、秀頼も子らと一緒に死にまする」
「それはなりません。私たちのために死ぬ者
にとって、私たちを生かすことが大儀なので
す。それを無にして死ぬるは大罪。この戦、
負けたとしても、私たちが生き延びれば、豊
臣家のために戦った者たちの意地は勝ちます。
勝たせてやらねばならないのです」
「なぜ豊臣家なのですか。なぜこの秀頼なの
ですか」
「誰も恨むでない。この母を恨みなさい。さ
れど、この母は、そなたの父上が成し遂げよ
うとしたことを最後まで貫き通します。それ
が豊臣家の誇りであり、そなたを産んだこの
母の誇りなのです」
「母上様……」
 秀頼は母の膝へ泣き崩れた。