2013年8月21日水曜日

武士の終焉

 松平忠昌も部隊を城内に向かわせようとし
たが、稲葉正成に止められた。
「若様、ご覧ください。豊臣勢は敵味方かま
わず殺し合っております。これはもはや戦で
はありません。あの中に入っては、出るのが
難しい」
「ではここに留まろう。しかし、奴らは何を
考えておるのじゃ」
「豊臣勢に多く残って味方しているキリシタ
ンは、その教義により自ら命を絶つことを戒
められております。それで、味方を殺し、自
分も殺させているのかもしれません」
「淀と秀頼は、それを分かっていてキリシタ
ンを集めたのであろうか」
「それだけではないでしょう。誰彼かまわず
斬るのは敵味方を確認する間合いが必要あり
ませんから……。もしや、これが、真の遁甲
の陣なのかもしれません」
「とんこう」
「はい。本来、遁甲の陣は、敵を陣中に招き
入れて殲滅する陣形なので、うかつに攻撃で
きません。窮地にあっても反撃することがで
きる陣形なのです。うかつに手出しが出来な
い。だから遁れることができるのです。しか
し、今、目の前で起きているのは、誰かを逃
がすための犠牲になっておるように思います」
「それは淀と秀頼か」
「おそらく」
「では、我らは淀と秀頼を捕まえようぞ」
「それはもはや手遅れかと思います。すでに
遁れておるか、捕まらない手をうっておりま
しょう」
「そのようなことができるのか。淀と秀頼、
恐ろしい者らじゃな」
「家臣に死をいとわず戦わせる。それでこそ、
名君と言えるでしょう。あっ、これは失礼。
敵を褒めてしまいました」
「よい。正成の言うとおりじゃ。わしも肝に
銘じよう」
 大坂城は炎に包まれ、その下は地獄と化し
た。
 いよいよ武士の時代が消え去ろうとしてい
た。
 徳川勢が大坂城に突入した様子を見守って
いた秀忠のもとに、千が現れた。
「千、無事であったか」
「父上様、もう戦はおやめください。これ以
上のむごい仕打ちは無益にございます」
「会ってそうそう何を申すか。それより、秀
頼と淀はどうした」
「山里曲輪の糒倉におります。でも近づいて
はなりませぬ。近づけば、火薬に火を点ける
と申しておりました。そのこと、御爺様にも
お知らせせねば。私を御爺様の所に行かせて
ください」
「いや、お前はここに残れ。父上のもとには
別の者を行かせる」
「では、私はこの場で舌を噛んで死にます。
私が死ねば、何もかも闇に葬ることになりま
しょう」
「お前、まだ何か隠しておると言うのか」
「では失礼いたします」
「いや、待て。分かった。父上のもとに行け」
 千は秀忠に礼をして、すぐに家康のもとに
向かった。
 命からがら生き延びていた家康は、千の無
事な様子を見て、泣いて喜んだ。
「千、生きておったか。良かった良かった」
「御爺様、国松と奈阿はすでに別の場所にか
くまわれております。今、戦をお止めになら
なければ、徳川の負けとなりましょう」
「そなた……。あい分かった、分かった。ちょ
うどよい。もうすぐ日が暮れるから戦は止め
じゃ」
「御爺様……、ありがとうございます」
 徳川勢は一旦、荒れ果てた大坂城から退去
し、城の事情に詳しい片桐且元に山里曲輪の
糒倉の場所を聞いて部隊を包囲させた。
 糒倉の中には、大野治長とその母・大蔵卿
局、毛利勝永、勝家の親子、そして、真田幸
昌と残った侍女らが淀の着物や秀頼の甲冑な
どを身につけ、大量の火薬に囲まれて息をひ
そめていた。
 外で徳川勢の将兵がざわついているのが聞
こえると、治長がニヤリと笑って言った。
「どうやらうまくいったようだ。ここを取り
囲んでいる」
 勝永も安堵して言った。
「いよいよ最後の大仕事ですな」
「しかし、攻撃してこないところをみると、
まだ千の方様の説得が続いているのかもしれ
ん」
「では今宵一晩、待ちますか」
「気を抜かず待つしかありませんな」
 それを聞いて幸昌がつぶやくように言った。
「早く父上のもとに参りたい」
 横にいた勝家がなだめるように言った。
「そのようなことを言うては、そなたの父上
様が怒りましょう。我が子なら家康、秀忠の
首を取って参れ、とな」
「そう言うかもな。無茶をやって見せる父上
であった」
 勝家が、幸昌の耳元でささやいた。
「お互い、良い父上のもとに生まれましたね」
 二人はくすくすと笑った。

 翌日

 千の説得も空しく、家康は糒倉へ攻撃の準
備を命じた。それを見透かすように、糒倉は
突然、爆発、炎上して崩れ落ちた。
 すぐに火は消されて、淀と秀頼の遺骸を捜
したが、散らばった複数の遺骸の損傷が激し
く特定はできなかった。
 家康は、秀忠に戦の後始末を任せ、京・二
条城に戻った。