2013年8月6日火曜日

知恵者

 しばらくして、駿府に方広寺の梵鐘に刻ま
れた銘文の弁明に来たのは、銘文の作者、南
禅寺の文英清韓長老と方広寺の作事奉行を務
めていた片桐且元だった。
 豊臣秀吉の家臣だった且元は、天正十一年
(一五八三)の賤ヶ岳の戦いで武勲をあげた
ことで、賤ヶ岳の七本槍といわれた福島正則、
加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、平野長泰、
糟屋武則といった面々の一人に加えられたほ
どの人物だ。
 関ヶ原の合戦には参加しなかったが、家康
に人質を出したため、後に、大和竜田、二万
八千石の所領を与えられ、豊臣家の家老に任
命されていた。
 方広寺の梵鐘に刻まれた銘文に問題がある
と知らされ、且元は青ざめた顔をしてやって
来たが、駿府で待っていた本多正純と崇伝に
は、意外にも快く迎えられた。
「文英長老、片桐殿、ご足労いただきかたじ
けない」
 正純は深々と頭を下げた。
 崇伝は、南禅寺金地院を開いていたてまえ、
南禅寺の長老である清韓に軽く会釈した。し
かし、清韓は表情を変えず、目も合わせなかっ
た。
 正純は、険悪な雰囲気に弱り顔になりなが
らも話を続けた。
「こたびは方広寺の梵鐘のことで問いたいこ
とがあり、ご足労いただいたのですが、それ
はこちらの思い過ごしでした。このことで大
御所様には、何の疑念もないということです。
しかし、こうしたことが起きるのは、徳川家
と豊臣家がお互いに行き来が乏しく、心を通
わせることができないからではないかと大御
所様は嘆いておられます。そこで、秀頼殿に
は、駿府の近くに移ってもらいたい。そうお
伝え願えまいか」
 且元は、徐々に威圧するような正純の言葉
に身をすくめながら答えた。
「おおせのことはごもっともと思いますが、
それならば、秀頼様か淀殿が度々、駿府に赴
けばすむのではないでしょうか」
「おお、それもよい考えにござる。しかし、
問題はそれだけではない。今、ようやく朝鮮
との交流が始まり、関係が修復されつつある。
上様はいずれ明との交流も再開したいと思っ
ておられるのだ。その時、秀頼殿が大坂城に
おいででは、何かと不都合なのです。そのこ
とを表向きの理由にすれば、朝鮮出兵した諸
大名に不満が芽生えよう。それはなんとして
も避けたい。このことは内密で、何とか説得
してもらいたい。このとおり、よろしく頼み
ます」
 正純は深々と頭を下げた。
「ははっ。この且元、微力ながら最善を尽く
してまいります」
 且元は、正純よりもさらに深く平伏した。
 清韓と崇伝は、あらぬ方向に話しがいき、
立場を失って気が抜けていた。
 大坂城に戻った片桐且元は、豊臣秀頼と淀
に報告した。
「こたびの方広寺の一件は、大御所様には何
の疑念もないとのことにございます。しかし、
今後、このような些細なことでいさかいにな
らぬように、秀頼様には駿府の近くにお移り
いただけないかとのことにございます」
 秀頼よりも先に淀が質問した。
「国替えせよ、ということか。且元は大御所
様にお会いしたのか」
「いえ。お会いすることはかないませんでし
た。お話しを伺ったのは、本多正純殿からで
す」
「それで、そなたはなんと返答したのか」
「はい。それならば、秀頼様か淀殿が度々、
駿府に赴けばすむのではないでしょうかと返
答いたしました。しかし、正純殿は、先の朝
鮮出兵のことを持ち出し、朝鮮、明との関係
修復には、秀頼様の大坂城退去が必要とのこ
とにございます」
 秀頼が目を見開いて驚き、且元に聞き返し
た。
「今になって、私に父上のしたことの責任を
とれというのか」
「は、はい」
 淀が秀頼をなだめるように言った。
「まあ、且元を責めてもしかたのないこと。
それに、それはただの口実。大御所様に会う
ことができた大蔵卿局には、朝鮮出兵の話し
はなかったが、同じようなことを言われたよ
うじゃ」
 大蔵卿局は、淀の乳母だったこともあり、
今は淀の相談役として側に仕えていた。
「しかし、こちらが戦の大義名分を与えてやっ
た方広寺のことは軽くいなし、別の難題を突
きつけてくるとは。それもまるで戦を避けろ
と言わんばかり……。まさか……。且元、最
近、大御所様の近くに誰か知恵者が加わって
おらなんだか」
「はあ。それでしたら、正純殿と一緒に崇伝
と申す僧侶がおり、どうやらこの者が、梵鐘
の銘文の意味を曲解したと思われます」
「いや、その者ではない。銘文の本当の意味
を解いた者がおるはずじゃ。且元、すまぬが
そなたを駿府に送り込む。なんとしても大御
所様の側にいる知恵者を見つけ出し、その者
の様子を探ってもらいたい」
「ははっ」
 淀は、この問題を世間には、「家康は方広
寺の梵鐘に刻まれた銘文のことで難癖をつけ、
秀頼様を大坂城から追い出そうとしている」
と触れ回らせた。そして、その交渉にあたっ
た片桐且元の立場を悪くし、大坂城から遠ざ
けた。
 且元は、大蔵卿局の子で淀とは幼馴染の大
野治長らに命を狙われていると、家康のもと
に泣きつき、駿府に身を寄せることになった。
 しばらくして、淀のもとに且元から、家康
の側には道春がいることが伝えられた。