2013年8月2日金曜日

秀頼と淀

 後陽成天皇の第三皇子、政仁親王が天皇に
即位すると、家康は武家の守るべき法令三ヵ
条を定め、諸大名に誓わせることに決めた。
 この法令三ヵ条は、道春が起草したもので、
「征夷大将軍である徳川の命令に従い、法度
に叛いた者をかくまうことを禁止し、謀反を
企てる者を抱えることを禁止する」とあった。
 この時、法令三ヵ条に対する誓書の提出を
促したのは主に西の諸大名で、豊臣家に味方
することをけん制する狙いが誰の目にも明ら
かだった。
 このことを豊臣秀頼に事前に伝わるように
した。そして、秀頼に上洛し、家康と会うこ
とを命じた。
 秀頼は、若い後水尾天皇の後見人のように
なった家康に叛くことはできず、二条城で会
うことになった。
 これより前の慶長八年(一六〇三)に秀頼
は、秀忠の娘、千と婚姻していたため、祖父
に会うという気安さがあった。しかしこれに
は、いまだに残る豊臣恩顧の諸大名が神経を
とがらせ、加藤清正や浅野幸長らが秀頼の警
護にあたった。
 二条城に現れた秀頼は、十九歳の凛々しい
若者となり、家康は複雑な思いだった。
「秀頼様、やっとお会いできましたな」
「大御所様、その様をつけるのはおやめくだ
さい。私は大御所様を祖父と思うております。
大御所様におかれましては、ご健康そうでな
りよりです」
「そ、そうか。秀頼殿も立派になられた。と
ころで千はどうじゃ。息災にしておるか」
「はい。良き妻をめとり、秀頼は幸せ者にご
ざいます」
「おお、そうか。これからも仲ようの。何か
困ったことがあれば、なんなりと遠慮せず申
されよ」
「ははっ。ありがたきお言葉。これからも父
上様を見習い、仲むつまじく暮らしていきた
いと思います」
「父上とな。それは……」
「上様にございます」
「おお、そうかそうか。良い心がけじゃ。な、
これも何かの縁。以前、太閤様とわしは刃を
交えたこともあったが、天下統一という夢で
結ばれて、それを果たすことができた。今度
は秀頼殿と秀忠が、天下泰平という夢で結ば
れて、末永く続くように精進してほしい。そ
れがわしの願いじゃ」
「ははっ。この秀頼、若輩者ではございます
が、上様の手足となり犬馬の労も惜しみませ
ん」
「よくぞ申された。これでわしも憂いを残す
ことなく、余生を過ごせる。このとおり礼を
言う」
 家康は深々と頭を下げた。
「大御所様、どうか末永くご健勝で、この秀
頼を、お見守りください」
 秀頼は、家康よりも深く平伏した。
 こうして家康と秀頼の対面は何事もなく終
わり、豊臣恩顧の諸大名もほっと一安心した。
 二条城で秀頼との対面が何事もなく終わっ
て、一番ほっとしていたのは家康だった。
 これで安心して秀忠、竹千代に征夷大将軍
を継承させることができ、自分は身を引き、
余生をすごせると信じていた。
(この乱世をよく生き抜いたものだ)
 家康はそう思わずにはいられなかった。と
ころが、それを一変させる事態が起こった。
 しばらくして、家康のもとに秀頼と対面し
た時に警護していた加藤清正と浅野幸長が亡
くなったとの知らせが入り、その後も島津義
久、堀尾吉晴など豊臣恩顧の諸大名の死の知
らせが続いた。
 この偶然続いたとは思えない死に、諸大名
の誰もが真っ先に疑ったのは家康だった。
 以前、小早川秀詮が狂い死んだのは家康の
毒殺という噂が、一時広まったことを誰もが
思い出した。
 道春も、相次ぐ豊臣恩顧の諸大名の死には、
家康が関係していると思っていた。ところが、
家康が異常なほど狼狽し、それが演技には見
えなくなり、もしやと思い始めた。
「道春、わしではない。こたびのことは、わ
しは何もしておらん。秀忠にも何も命じてな
どおらん。あれにも問いただしたが、けっし
て謀(はかりごと)など企ててはおらん。な、
信じてくれ。これは天罰か。そなたを殺そう
とした報いか」
「それは違います。大御所様、落ち着いてく
ださい。ただ、正直を申せば、私も大御所様
を疑っておりました。でも今は違います。こ
れは淀殿の策略です」
「淀殿……」
「はい。これは淀殿が戦を仕掛けてきたのだ
と思います」
「そ、それは何故じゃ。わしと秀頼殿とは何
も争うことなどなく、縁者として仲良くして
おるではないか」
「私には、おなごの考えることは分かりませ
んが、もしかすると、それが怖いのかもしれ
ません。淀殿は、秀吉公直伝の兵法を心得て
おります」