2013年8月26日月曜日

松平忠輝

 秀忠は、家康の神号問題が解決すると、天
海がいない間に崇伝を呼び、松平忠輝の処遇
を話し合った。
 忠輝は、秀忠とは母の異なる弟で、家康が
気まぐれで側室とした町人の娘、茶阿との間
に産まれた子だった。そのため、家康に愛情
はなく、産まれて間もなく下野・長沼の大名
だった皆川広照に養育させた。
 物心がつくと父親に対する屈折した感情が
芽生え、広照を困らせた。しかし、八歳の時
に長沢、松平家の名籍を継ぐと、天性の能力
を発揮し、下総・佐倉五万石から信濃・川中
島十四万石と加増を続け、左近衛権少将の官
位を授けられるまでになった。
 今は越後・高田藩主となり、川中島を併合
して七十五万石の大名となっていた。
 かつて家康は、我が子の誰よりも目立つ存
在になった忠輝が、百姓の子から天下を取っ
た秀吉のように町人で家康の血をひく子とし
て民衆に支持されるのではないかと恐れるよ
うになった。跡継ぎにした秀忠と比べても遜
色がない。しかし家康は、忠輝が悪ぶって見
せても、捨てたという負い目があり、処罰で
きずにこの世を去った。
 秀忠は、この機を逃しては後がないと考え
ていた。
 崇伝が思案しながら話した。
「上様、忠輝殿はキリシタンと深い関係にあ
ると聞いております。他のキリシタンに関係
のある大名を改易しておるのに、身内は何も
ないでは示しがつかぬのではないでしょうか。
それを口実にしてはいかがかと」
「そうじゃな。本来なら忠輝を自刃させると
ころだが、わしは生かしてみたい。これから
の世が本当に戦のない天下泰平の世になるの
か。本当に親子、兄弟が、憎しみ合い殺し合
うことのない世になるのか。試してみたい」
「その優しいお心が、仇にならねばよいので
すが」
「わしは優しさで言っておるのではない。武
士は殺し合うためだけに生きているのではな
いことを世に示したいのだ。武士の役割を忠
輝なら見つけ出すかもしれん」
「上様の深いお考え、恐れ入ります」
 しばらくして、秀忠は忠輝を呼び出した。
「忠輝、そなたを改易し、伊勢・朝熊山へ配
流とする。これからそなたには苦難が待って
いようが自刃してはならぬ。生き抜いて武士
のあるべき姿を示せ。それが、亡き父上のそ
なたへの遺言じゃ」
「はっ、寛大なる処置、身に余る光栄にござ
います。しかし、私は兄上に逆らうかもしれ
ません。その時はどうなさいますか」
「かつて、明に伝わる名軍師、諸葛孔明は、
敵対する孟獲を七たび捕らえて七たび釈放し、
屈服させたと聞く。わしもそなたを何度でも
配流にするつもりじゃ」
「これは面白い。上様にそれができるかやっ
てみましょう」
 忠輝は改易を受け入れ、伊勢・朝熊山へ配
流された。