2013年7月1日月曜日

軍資金移動

 秀秋はこれまで運命に逆らえなかった。
 生まれた時から織田信長の生まれ変わりを
演じて、自我を出すことができず、その上、
養子に次々と出され、居場所を見失うことも
あった。
 まるでタンポポの種が風に飛ばされて落ち、
その場所がどんな所でも咲かなければならな
いように、与えられた条件を受け入れるしか
なかったのだ。
(どうせ捨てるものは何もない)
 秀忠の部隊が到着して自分の出番がなく、
命が尽きるのもいいと思っていた。
「それより正成。あれはどうなった」
 秀秋は、三成の持ち込んだ軍資金がどうなっ
ているのか気になっていた。
「はっ、それですが、私が見ただけでも十万
両はあり、一旦、埋め戻して警戒させており
ますが、奥平が退去しましたので、すぐに運
び出させます。しかし、かなり時がかかると
思います」
「十万両以上もあるのか。それならやむおえ
んが、できるだけ急いでくれ。われらの出番
があるかもしれん。そうなれば出陣の好機を
逃すと取り返しのつかぬことになる。他の小
隊も使ってよいが、家康からつけられた浪人
どもには気づかれぬようにな」
「はっ」
 稲葉はすぐに退き、軍資金のある曲輪に待
機していた小隊に、手はずどおり運び出すよ
うに指示した。
 こう着状態が続く中でも、三成は陣中にどっ
しりとかまえ、微動だにしない。対する家康
は、陣中をうろちょろして、落ち着きがなかっ
た。
「秀忠はまだか。何で誰も動かんのじゃ」
 秀秋のもとに家康の使者がやって来て、家
康の言葉が伝えられた。
「秀忠様は、ただいま関ヶ原へ向かわれてい
ますが、到着が遅れております。秀秋殿には
疑念がおありのようですが、大殿に二心など
ありません。秀秋殿にはかねてより、備前と
美作を封ずると申していることに偽りなく、
早急のご出陣をお願い申し上げます」
 しばらくすると、東軍の内情を探っていた
小早川隊の兵卒が秀秋のもとに戻って告げた。
「徳川秀忠殿は、上田城攻めにてこずり、現
在は関ヶ原に向かっています。しかし、悪天
候で信濃に足止めされ、到着が遅れています」
 これで秀忠がいないのは、家康の策略では
ないことがはっきりした。
 秀秋は杉原重治、松野重元、岩見重太郎、
平岡頼勝を呼んで言った。
「秀忠は来ない。今、出陣すればふもとで警
戒している大谷隊と正面からぶつかることに
なる」
 四人は、秀秋が大谷吉継を兄のように慕っ
ていることを知っていた。
 秀秋は地形図の駒を指差して話した。
「皆も知っておろうが、この赤座殿、小川殿、
脇坂殿は家康殿に内通している。そこでだ、
大谷隊の注意をこちらに向けさせれば、この
三隊が側面を攻めよう」
 松尾山のふもとで戦っている大谷隊の斜め
前方には、家康に内通しているはずの赤座直
保、小川祐忠、脇坂安治の三隊が東軍の不意
打ちを警戒するフリをして待機していた。そ
の中でも赤座は、秀秋が以前、越前・北ノ庄
に転封になった頃からの知り合いで、小川、
脇坂らと朽木元綱を説得して大谷隊を攻撃す
る機会を狙っていたが、大谷隊の奮戦と威圧
で、ヘビに睨まれたカエルのようにその場を
動くことさえできなかった。
 秀秋の考えに岩見は、勇猛な武人らしく反
論した。
「今まで動かなかった三隊など、あてになり
ませぬ。戦で信じられるのは己のみ」 
 秀秋が自分の考えを話した。
「三隊は今のままでは動けないだろう。そこ
で、われらは小隊に分かれ、一隊ずつ大谷隊
の正面から攻めと退却を繰り返す。そうすれ
ば大谷隊は、われらの部隊の統率がとれてい
ないのは俺の力不足と甘く見て追ってくるは
ずだ。これで三隊は、大谷隊の背後に位置す
ることになり、動くかもしれん。仮に動かな
い時のために、われらの別部隊を背後に回り
込ませればどうだ」
 秀秋は合戦を狩りにおきかえて考えていた。
 狩りをする時は獲物を追いかけるより、餌
で誘って仕留めるほうが楽だ。
 吉継にとって秀秋は、幼い時の未熟さが印
象に残っているはずだから小隊での正面攻撃
という無謀な戦い方をすればあなどり、そこ
に油断ができる。これで小早川軍が餌になり、
吉継を思い通りの場所に動かすことで、赤座、
小川、脇坂の三隊に仕留めさせようと考えた
のである。
 話しを聞いていた鉄砲頭の松野の顔色がく
もった。
「これでいいのかの。わしは太閤様に顔向け
できん」
 秀秋は、忠義心の強い松野の気持ちを察し
た。
「松野は、態度をはっきり決めることのでき
ない輝元殿や無謀な戦をする秀家殿、その全
てを取り仕切ることのできない三成殿で、天
下が治まると思うか。この場に秀頼様を連れ
てこなければ、豊臣家とは無関係のただの殺
し合いにしかならない。その秀頼様を西軍は
連れて来ることができなかった。それにな、
太閤様は朝鮮での過ちを繰り返した。それを
俺も、ここにおる全ての者が太閤様を止めら
れなかった。三成殿や吉継殿には才覚がある。
その才覚が、太閤様によって間違ったことに
使われていることを知っていたはずだ。それ
でもどうすることもできないのなら、その才
覚はなんの役にもたたない。だからこうして
豊臣家の家臣だった者たちが、不信感を抱き、
仲間どうしが争うことになったのではないの
か」
 松野は唇を噛みしめてうなだれた。