2013年7月22日月曜日

キリシタン

 ある日、松永貞徳が、林信澄と一緒に羅山
のもとにやって来た。
 貞徳は、俳句や和歌の歌学者で木下長嘯子
と並ぶ歌人として先駆的な役割をはたし、庶
民を対象とした私塾も開いていた。
 羅山の弟の信澄はそこで貞徳に和歌を習っ
ていたのだ。
 貞徳の子、昌三が藤原惺窩の弟子となって
いた関係で、羅山も以前から貞徳と親交を深
めていた。
「兄上の幕府への仕官が遅れているのは、ど
うも問答で立ち会っていた、承兌殿と元佶殿
がまだ快く思っていないらしいのです」
 こう信澄が切り出すと貞徳が補足した。
「あのお方たちは最近、キリシタンの盛況で
信者の改宗が相次ぎ、ただでさえ苦境のとこ
ろに、羅山先生が仕官されては自分たちの発
言権がなくなると危惧しているのです」
「その心の狭さが、信者を失っていることに
気がつかないのでしょうか」
 信澄が批判すると、羅山は苦笑して言った。
「信澄の言うことも分かるが、この国で永い
間、強大な勢力を保ってきた仏教が、こうも
あっさりと衰退するとは。戦が人の心情を変
えてしまったのかもしれんな。庶民は新しい
心の支えを求めているのだろう」
 貞徳がうなずいて言った。
「しかし、これは羅山先生にとって好機では
ないですか。キリシタンをやり込めて、その
勢いを止めれば、承兌殿と元佶殿も先生を認
めざるおえないでしょう」
「それはそうですが、どうやってやり込める
と言うのですか」
「この国でキリシタンになり、ハビアンと名
乗っている者がおります。この者が『妙貞問
答』という書物を書き、今までこの国に根付
いている宗教を全て否定しています。それに
この者、大地は球形だと申して、庶民を惑わ
しております」
「大地は球形」
 羅山がまだ幼い頃、天下統一を目前にした
豊臣秀吉の養子となり金吾と呼ばれていた頃
だ。その秀吉から、本能寺の変で亡くなった
織田信長が所用していた地球儀を見せられた
ことがあった。
「金吾、よいかこれが我が国ぞ。どうじゃ豆
粒ほどしかない。それに比べ、異国の広いこ
と。わしはこの異国を手中に治め、本当の天
下人になる。金吾にはこの国をやろう」
 羅山は、そのハビアンという人物に興味を
抱いた。
「ハビアンとやらに会えますか」
「はい。すぐに手配いたしましょう」
 貞徳は、日蓮宗不受不施派の熱烈な信者で、
誰よりも自分がキリシタンに脅威を感じてい
た。そこで、羅山とハビアンに論争させるこ
とで、キリシタンの勢いを止めようとしたの
だった。
 ハビアンは、キリシタンが本拠としている
京の南蛮寺に入り、スペイン人の神父、モレ
イジョンの下で修道士となった。
 日々、布教活動につとめ、多くの信者を集
めていた。それはこの頃、諸大名にもキリシ
タンとなった者がいて、京都所司代の板倉勝
重が、キリシタンを保護する政策をおこなっ
ていたからだ。
 これより以前、民衆は、堕落した仏教に失
望し、永く続いた戦国時代の混乱から、仏へ
の信仰が薄れていた。そうした中で、キリシ
タンの新しい考え方が民衆の心をうち、特に
側室をもつことを否定していることが、諸大
名の正室に支持され、諸大名の間でもキリシ
タンへの改宗が拡大していった。この影響で、
徳川秀忠も改宗まではしていないが側室をも
つことを控えていた。そのため、嫡男がなか
なか誕生せず、家臣を不安にさせていたのだ。
 大名が側室をもつのは、たんに色欲を満た
すためではない。
 大名に世継ぎが生まれなければ、お家断絶
となり、多くの家臣とその家族が路頭に迷う
ことになる。これを回避する使命が大名には
あったからだ。
 諸大名の一部には、キリシタンの教えを覆
して、やり込めてくれる者が登場してほしい
という期待が高まっていた。