2013年7月2日火曜日

陣羽織の意味

 杉原、岩見、平岡も不安がないわけではな
かった。
 遅れてやって来た稲葉正成が話し合いに加
わった。
 秀秋は、皆の思いを汲んで言った。
「たとえこの戦で家康殿が負けても、家康殿
は過ちから学んで、また挑んでくる。再び長
い乱世になれば、それこそ民衆の心は豊臣家
から離れ、後世に恨みを残すだけだ。今、こ
こで戦を治め、乱世を終わらせる道を選べば、
太閤様の名誉も保つことができよう。それに、
われらの勝ち取った領地で、太閤様の意思を
継ぐこともできるのではないか」
 皆の目に輝きが戻り、深くうなずいた。
 秀秋は立ち上がり、力強く命令した。
「稲葉、杉原、岩見、平岡は正面から攻めよ。
松野は大谷隊の背後に回れ」
「はっ」
 一同はすばやく散り、攻撃順などの役割を
小隊に振り分けると、それぞれの小隊の雄叫
びが、方々であがった。

 戦いが始まって四時間が経とうとしていた。
 秀秋は将兵の待機している曲輪に向かった。
そこにいた稲葉正成に目配せして軍資金の移
動をしていた小隊が戻たかを確認した。
 正成がうなずいたので軍資金の運び出しが
済んだことが分かった。そこで、戦闘準備を
すませてじっと待っていた将兵の前に立った。
 秀秋に初陣の時のあどけなさはなく、巻狩
りを装った軍事演習で日焼けした顔は、野性
味を帯び、威厳さえ漂わせていた。
 身分の違いに関係なく取り立てられた将兵
の顔は皆、高揚していた。
 秀秋が現れると、興奮していた将兵は、し
ばらくざわついていたが、徐々に静まり返っ
ていった。
 秀秋は将兵の緊張を解きほぐすように静か
に話し始めた。
「彼の地、明には桃源郷の物語がある。河で
釣りをしていた漁師が帰る途中、渓谷に迷い
込み、桃林の近くに見知らぬ村を見つけた。
そこにいた村人は他の国のことは知らず、戦
はなく、自給自足で食うものにも困らない。
誰が上、誰が下と争うこともない。これが桃
源郷だ。太閤様も俺も、もとはみんなと同じ
百姓の出。もう身分に縛られるのはごめんだ。
親兄弟、子らが生きたいように生き、飢える
ことのない都を皆と一緒に築きたいと思う。
そのために俺はこの身を捨てて戦う」
 それから秀秋は、側にいた兵卒に持たせて
いた陣羽織を受け取ると、高々と掲げ、皆に
見せた。
 その陣羽織は、この時のために新調された
もので、燃えるように鮮やかな緋色の猩々緋
羅紗地に、背中は諏訪明神の違い鎌模様を大
きくあしらっていた。
 秀秋は陣羽織を握り締め怒りを込め、ひと
きわ大きな声で言い放った。
「この緋色は、朝鮮で流した血の色じゃ。家
康も三成もこの血の犠牲をなんと思うて争う
のか。われらは田畑を血で染め、大地を汚す
ために生きておるのか。それとも、この鎌を
握りしめ、田畑を耕し、大地を活かすのか。
世に問うて今こそ天下を耕す時ぞ」
 この言葉に将兵の中には感涙する者もあり、
全員の心がひとつになった。そして、いっせ
いに声が上がり、気合が入った。
 秀秋はさらに強い口調になっていった。
「われらは小隊に分かれ、大谷隊を正面から
討つ。だたし、大谷隊の側にいる赤座、小川、
脇坂は敵ではない。大谷隊を誘い出し、この
三隊に背後を突かせる。われらは餌のごとく、
うろたえ逃げまわればいい。時が来るまで血
気にはやって功名を得ようとするな。天恵を
得たければ、われに続け」
「おおぅ」
 全員の雄叫びとともに各自の持ち場に散っ
た。
 秀秋は陣羽織を着ると、馬に騎乗し、空を
見上げた。
 いつの間にか空は晴れていた。
(鷹狩りにはもってこいだなぁ)
 機敏に戦闘準備を整えていく小早川隊に日
が照り返していた。
 その頃、戦いがこう着状態になり、家康の
陣にいた異国人がざわつき始めた。
 アダムスは家康の後ろ姿を見た。
 圧倒的な勢力でいまだに勝てないふがいな
さに、家康は落胆の色をみせていた。
「わしの負けじゃ。じゃが、これで終わった
わけじゃない。もう一度、秀忠と合流して出
直そう」
 家臣たちも皆、自分たちの犯した失策にう
なだれていた。
 一方、三成の陣営では、家康の逃亡しそう
な気配が見えると歓声が上がった。
「やった。家康に勝った」
 うなだれた家康が退却の準備を始めようと
した時、伝令が現れ駆け寄った。
「小早川秀秋殿がご出陣されます」
 その言葉に、家康の顔色が赤く染まっていっ
た。
 この時、家康の脳裏に二つの考えが渦巻い
た。
 一つは、自分に加勢して西軍に攻め込む。
この場合、合戦に勝つと豊臣家の発言権が増
してしまう。合戦に負けると西軍の勢いがさ
らに増すだろう。
 もう一つは、自分を裏切って、こちらに攻
めてくる。この場合、徳川家は一瞬に消滅す
るだろう。
 どちらにしても徳川家にはなんの利益にも
ならない。
 なんとしても秀秋を松尾山城に留めておか
なければならない。
 家康は、怒りをこめて叫んだ。
「なんじゃと、もう遅いわ。あの小僧、わし
を馬鹿にしおって。誰か、誰か松尾山に鉄砲
を撃ちかけい。わしが秀忠を連れて戻ってく
るまで、小早川に城で籠城しておれと知らせ
るのじゃ」
 すぐに松尾山のふもとに布陣していた徳川
軍の鉄砲隊に命令が伝わり、松尾山に向けて
一斉射撃がおこなわれた。
 その銃声を聞いた松尾山の小早川隊は、す
でに出陣の準備が整い、戦場に向かおうとし
ていた。
 秀秋のもとに兵卒が駆けつけた。
「家康様から、出陣を思いとどまり、籠城す
るようにとのご命令です。家康様は、すぐに
秀忠様をつれて戻ってくるとのことです」
 秀秋は少し考えたが、全軍に出陣命令を下
した。
 このまま籠城すれば、西軍の総攻撃にあう。
そして、秀忠の部隊が来れば、せっかく無血
入城した手柄がふいになる。しかし今、出陣
すれば命令違反を問われるかもしれない。
 どちらにしても良いことはないのなら、出
陣してこの合戦を終わらせることを優先する
べきだと秀秋は考えた。
 いつか藤原惺窩に教わった孫子の兵法にあ
る「兵は拙速を聞くも、いまだ巧の久しきを
睹(み)ざるなり(戦は短期でするものだと
よく言われ、手をつくして時間をかけるもの
ではない)」を思い出していた。