2013年7月18日木曜日

問答

 再び家康に呼ばれた羅山は、二条城に出向
いた。
 謁見の間にはすでに舟橋秀賢、相国寺の承
兌長老、円光寺の元佶長老が着座していた。
 相国寺には藤原惺窩が若かりし頃、一時身
を寄せ、やはり若かった承兌と一緒に勉学に
励んでいたことがある。
 今の承兌長老は、衰退していた相国寺の復
興に躍起になっていたので、惺窩の弟子であ
る羅山の仕官は、その妨げとなるのではない
かと不安を感じていた。
 円光寺は家康が創立し、足利学校の第九代
学頭だった元佶を招いて、僧侶以外の入学も
認める学校とした。そして、木製の活字を利
用した書物を多数刊行していた。
 元佶長老も、自分の広めている学問とは異
なる惺窩門下の権勢が強くなるのを恐れてい
た。
 しばらくして入って来た羅山は、この二人
の静かだが威圧する視線にも平然と構え、着
座して三人に一礼した。
 この日の家康は上機嫌だった。それは、征
夷大将軍の座を秀忠に譲り、自分は隠居する
ことを決めて、ようやく緊張から開放された
からだ。
 にこやかに入って来る家康に、一同は平伏
した。
「皆、面を上げられよ。な、こうしてわしの
もとには優れた賢者が集まって来る。これで
こそ天下は盤石となろう」
 舟橋はうなずき、承兌長老は久しぶりに見
た家康の笑顔に目を丸くした。
「では、舟橋殿、相国寺殿、円光寺殿のお三
方に問う。光武と高祖との間柄は如何に」
 三人は申し合わせたとおり、知らないフリ
をした。
「ならば羅山殿は如何に」
「はっ、光武は後漢の帝であり、高祖となっ
た前漢の劉邦から数えて九世の孫にございま
す」
「そうじゃ。ではまた、お三方に問う。漢武
の返魂香(はんこんこう)については、何れ
の書物に書かれているか」
 これも三人は答えられないフリをした。
「羅山殿は如何に」
「それは白楽天の詩文集である白氏長慶集と
蘇軾(そしょく)の詩文集である東披志林(と
うぱしりん)に書かれています。漢武とは高
祖の曾孫にあたる前漢の孝武帝で、返魂香と
は、火にくべると死者の姿が煙の中から現れ
るという香のこと。この返魂香は、孝武帝が
少翁という仙術の修験者に命じて霊薬を調合
して作らせ、これを火にくべると、死んだ李
夫人の霊魂がもどったという故事によります」
「そのとおりじゃ。では最後に皆に問う。蘭
の品種は数多くあるが、屈原(くつげん)が
愛でた蘭は何じゃ」
 これは今までとはまったく分野の違う、意
表をついた質問で、舟橋、承兌長老、元佶長
老の三人にも本当に分からず首をかしげた。
 舟橋は羅山を助けようと言い訳を考えたが
思い浮かばず慌てた。

 一瞬、静まり返った謁見の間。

 得意げに笑みを浮かべる家康に、羅山はゆっ
くりと答えはじめた。
「沢蘭にございます。屈原は楚の懐王、襄王
に仕えた長官で、疲弊した国を復興しようと
努力しましたが、反対派の企みにより江南に
左遷され、その後、身を投じて死にました。
その屈原が愛でたのは沢に咲く素朴ですが可
憐な蘭にございます」
 家康は、屈原と小早川秀秋の後世をだぶら
せて問うた意図を、羅山に見抜かれたことに
感心し、一息ついた。
「お三方どうじゃ。羅山殿は若いが優れた博
識がある。認めてもよかろう」
 三人は深くうなずき同意した。
 このことは城内はもとより、世間にも知れ
渡った。