2013年7月29日月曜日

惺窩との再会

 朝鮮使節団は江戸から帰る途中に駿河に立
ち寄った。それを知った道春は、藤原惺窩と
再会し、二人で丁好寛に面会した。
 会話は全て筆談で行われ、主に朱子学につ
いての質問をやり取りした。しかし、これは
口実で、道春の目的は、惺窩と今後のことを
話し合うためだった。
「羅山、しばらく見ぬうちに儒者らしくなっ
たな」
 儒者は坊主頭にしないのだが、道春が坊主
頭になっていたので、惺窩はいたずらっぽく
皮肉をこめてそう言って笑った。
「お恥ずかしいかぎりです。大御所様から道
春という号も賜りました」
「そうらしいな。まあよい。幕府に入れたの
だから」
「その幕府なのですが、秀忠様が将軍になら
れて、表向きは平穏に見えますが、その実権
はまだ大御所様にあり、幕府の本当の姿が見
えないのです」
「そうじゃな。このままでは、太閤様と秀次
殿の二の舞になるかもしれん」
 秀吉は、晩年に関白を養子の秀次に譲り、
太閤となって朝鮮出兵に専念するつもりでい
たが、それに失敗し、秀次との間に不和が生
じたため、秀次を切腹に追い込んだ。
「私もそれを心配しているのですが、秀忠様
は大御所様の実子ですし、それほど愚鈍でも
ないように見受けました。それでもやはり争
うことになるのでしょうか」
「ふむ。愚鈍ではないからこそ、その能力に
目覚めた時が恐ろしい。そういう子はどうし
ても父を超えようと躍起になる。そして周り
の家臣もそれを望むであろうからな。早いう
ちに、次の後継者を決めることじゃ」
「もう後継者を決めるのですか」
「そうじゃ、大御所様の健在なうちに後継者
を決めて、秀忠様をその後見人にする。そう
すれば、秀忠様や家臣に無用な欲望を抱かせ
ず、秀忠様も後見人として実権を握ることが
できるので、自尊心を傷つけることもないだ
ろう」
「それで、後継者は竹千代様にすると」
「そうも簡単にはいかんようじゃ。お江与の
方様は、自ら育てておいでの弟君の国松様を
溺愛しておられる。秀忠様も利発なのは国松
様と見ておられるようじゃ。それに、竹千代
様には健康に不安がある」
「そうなると、福の献身は水の泡になります
ね」
「後は大御所様がどう判断されるかじゃな」
 道春は惺窩の助言で、これからやるべきこ
とを見つけた。

 家康は、道春が丁好寛に会ったことを知る
と、丁好寛に慶長の朝鮮出兵で総大将となっ
た小早川秀詮と分かったのではないかと心配
した。そこで、すぐに道春を呼んで、どんな
話しをしたのか問いただした。
 道春は朱子学について二、三質問し、あま
り目新しい答えは得られなかったと報告した。
 それを聞いた家康は、取り越し苦労だった
ことにほっとした。そして話題を変えて聞い
た。
「ところで道春、どうじゃった、秀忠の器量
は」
「はっ、上様は才知に溢れ、大御所様に優る
とも劣らない器量とお見受けいたしました」
「それは、ちと言い過ぎではないか」
「いえ、上様の器量は良いのですが、その器
量を発揮する機会がないため、眠れる龍となっ
ておられるように思います」
「眠れる龍か。して、その龍が目を覚ますと、
どうなる」
「お恐れながら、今のままでは上様と大御所
様との間に不和が生じるのではないかと思い
ます。もしそうならなくても、江戸と駿府で
家臣同士の争いになるやもしれません」
「わしの考えと同じじゃ。それで道春ならど
うする」
「今後のことを考えますと、一方が動けば、
他方は静まるのがよろしいかと思います。こ
れが難しいのであれば、もう一人加えて三位
一体になるのも、一考に価するかと思います」
「三位一体とな。それは世継ぎのことか」
「さすがわ大御所様。ご明察のとおりにござ
います」
 この時、家康は竹千代と国松のどちらを世
継ぎにするか、まだ迷っていた。