2013年7月26日金曜日

福の献身

 福の父は、明智光秀の家老だった斉藤利三
で、竹千代の母である江与の叔父は、本能寺
の変で光秀に暗殺された織田信長だった。そ
の因縁から江与は、福を疎ましく思っている
と周りはみていた。
 江与が、次男の国松に乳母を決めず自分で
育てるという前例のない行動に出たことから、
それが真実となっていた。そして、竹千代の
高熱が出たとなれば、国松を世継ぎにしよう
とする江与の仕業と噂される。
 これが江与と福の対立という構図をさらに
助長した。

 羅山は、手紙を読み終わり、長嘯子の方に
向いて言った。
「万が一、竹千代様が亡くなったら、福も失
態の責任をとって自刃するとあります。その
災いが稲葉家にふりかからないように、正成
とは離縁するそうです。そして巫女となり、
お祈りするともあります。福はこんなに強い
女だったでしょうか」
「会うたびに、ほんに肝のすわった女になっ
ていくと思うよ。まるで竹千代様の母のよう
になっていく」
「そうだとしたら、これは良い機会かもしれ
ません。なんとしても竹千代様には全快して
もらわなければ。私は大御所様に薬材を取り
寄せるよう命じられ、手配しているところで
す」
 菅得庵が曲直瀬玄朔から手に入れた牛黄な
どの薬材は、家康のもとに届けられ、家康自
らの調合により薬となって、早馬で秀忠のも
とに届けられた。
 間もなく、竹千代の高熱は下がり、快方に
向かった。
 これを世間では「大御所様の御投薬により、
竹千代様の病が治った」と噂が広がり、家康
の意外な一面が知られるようになった。
 家康は、福の日夜をとわず、身をていした
看病に心を動かされた。そこで家康は、側近
のもっとも信頼している陰陽道を極めた僧侶、
南光坊天海に相談して、福を竹千代の母とし
た。
 これは、かつて豊臣秀吉と淀君の間に生ま
れた後の秀頼を、秀吉の家臣、松浦重政が拾っ
たことにし、名も拾い子ということで拾丸と
名付けたのと同じように、病魔除けの意味が
あった。
 このことで福は、竹千代のお守役に任命さ
れ、永く竹千代のもとに留まることになった。
 そして、羅山も家康に呼ばれた。