2013年7月13日土曜日

隠遁

 慶長七年(一六〇二)十月

 二十一歳の若さで狂い死んだとされる小早
川秀詮は、京の町家、林吉勝の屋敷にかくま
われていた。
 しばらくして秀詮は、小早川家の筆頭家老
だった稲葉正成と再会した。
「殿、手はずは全て整いました。殿の子らは
木下家に身を寄せております。家臣らも殿が
狂い死にしたことで同情が集まり、それぞれ
の居場所を見つけるめどがつきました」
「それは良かった。ところで杉原親子はどう
した」
「ご安心ください。二人とも私のところにお
ります」
 秀詮と正成はやっと笑みを浮かべた。
 そこにこの家の主、吉勝が入ってきた。
「これはこれは、なにやら楽しそうですな。
殿のそのようなお顔は初めて見ました」
「もう殿ではありません。父上の子です」
 秀詮が、自分をまだ養子にしたことに慣れ
ない吉勝に言った。
「そうでした。はははははっ」
 正成が疑うように言った。
「他の者はどうじゃ。はよう慣れてもらわん
と困る」
「そのことですが、私の弟の信時が、秀詮の
実の父になるのは良いとして、信時の子の信
勝がややこしい。秀詮が信勝になり、本当の
信勝が弟の信澄になると……。あれを説得す
るのには骨が折れた」
「難渋させました。すみません」
 秀詮が深々と頭を下げると、吉勝が少し緊
張しながらも父らしく言った。
「よいよい」
 正成が話にわって入った。
「その信澄は長崎から帰って来たか」
「はい。もうそろそろこちらに参ります」
 三人がしばらく談笑していると、そこに吉
勝の弟、信時に連れられて信澄(本当の信勝)
がやって来た。
 信澄は長崎から帰ってすぐこちらに向かっ
たようで、旅装束のままだった。その顔は日
に焼け、眉が凛々しく引き締まり、眼光が鋭
い。いかにも才知溢れる青年の姿だった。
 秀詮、正成でさえ身構えるほどの威圧感を
放っていた。
 正座した信時に促されて、信澄もその少し
後ろに正座した。
「お初にお目にかかります。わが子、信勝改
め信澄を連れてまいりました」
「兄上様、お初にお目にかかります。弟の信
澄、ただいま長崎より帰ってまいりました。
以後、よろしくお願いいたします」
「信澄、無事に戻ってなにより。こちらこそ
よろしく頼む」
 秀詮が言い終わると同時に、信澄が話し始
めた。
「ときに兄上様、兄上様は……」
「これこれ、何じゃ会って早々、失礼じゃぞ」
 吉勝は、信澄が何を話し出すかとヒヤヒヤ
して、慌てて止めようとした。
「よい。これから兄弟として、仲ようしてい
きたい。存念があってはそれもできんだろう。
わしは信澄の思いが聞きたい。ぜひ話しても
らいたい」
「はっ。兄上様は藤原惺窩先生をはじめ、公
家の方々からも指南を受け、多くの兵や領民
を指揮し、学問を実践されたと聞いておりま
す。その成果は目覚しく、領地を復興させる
ことも叶ったとか。そのことを私はうらやま
しく思っています。私の家は貧しく、建仁寺
で学問を学びました。最近知ったのですが、
稲葉様のご援助があったようです。しかし、
それでも思うようには多くを学ぶことができ
ず、鬱々とした日々を暮らしておりました。
このようなことを話しますのは、兄上様に私
の人生をお譲りするにあたり、私のこれまで
を知っておいてほしいと思ったからです。こ
れが町人というものです。これから不自由に
思われることがあるかもしれませんが、耐え
忍び、町人の心持で、信勝を生かしていただ
ければ幸いです」
「分かった。よう話してくれた。礼を言う。
私の先祖も、かつては林姓だったと聞く。確
か稲葉様もご先祖は林姓でしたね」
 秀詮の父、木下家定は木下姓を名乗る前は
杉原姓で、その前が林姓だった。そして、稲
葉正成の父は林政秀であり、正成が稲葉重通
の養子となって稲葉姓を名乗るようになった
のである。
「こうして、林姓の者が集ったのも何かの奇
縁。これからはそなただけが頼りじゃ。助け
てもらいたい。稲葉様にもよろしくお願い申
し上げます」
 秀詮は町人らしく、正成に深々と頭を下げ
た。
「殿、今はよろしいではありませんか。信澄、
わしのことは、余計じゃぞ」
 正成は恐縮して身体を丸めた。
 皆からドッと笑いがおき、場が和んだ。
(この殿様は器が違う。底知れぬお方だ)
 本当の信勝は改めて、信澄として兄を盛り
たてていこうと心に決めた。