2013年7月4日木曜日

逆転勝利

 今まで逃げ腰だった小早川の小隊が集結し、
秀秋を中央にして両横に広がって整列した。
その一瞬、時が止まったように静寂に包まれ、
大谷隊は凍りついたように動かなくなった。
 秀秋は赤座の方に目をやった。
 少しの間があって、大谷吉継の側にいた湯
浅五郎の「あっ」という声が響いた。そこで
やっと吉継は異変を感じ、声を上げた。
「何があった」
 この時、赤座は小早川隊の動きに状況がの
みこめ、叫んでいた。
「今だ。大谷を攻めよ」
 それに続いて小川、朽木、脇坂の部隊も、
大谷隊の背後に襲いかかった。
 吉継は何が起こっているのか、まだ把握で
きなかった。
「何だ」
 大谷隊は背後から崩れるように消滅してい
く。
 秀秋は、複雑な気持ちで吉継を見ていた。
そして、情けを断ち切るため面頬を着け、側
にいた従者から槍を受け取った。その槍を高
く掲げて合図をだし、全部隊を大谷隊にぶつ
けた。
 吉継の乗った御輿は、混乱の中から湯浅五
郎の先導できりぬけるのがやっとだった。
「負けたのか。秀秋、どんな手を使った」
 吉継は負けた悔しさよりも、秀秋の戦いぶ
りに心を揺さぶられ、興味がわいた。
(じかに見たかったのぅ)
 そう悔やみながら、逃れた吉継は、御輿か
ら降りると自刃して果てた。
 秀秋は、大谷隊の崩れていくのを確認する
と、その勢いのまま西軍の島津隊に向かうよ
う叫んだ。
「島津を攻めよ。われに続け」
 その途中、稲葉、杉原に、東軍が苦戦して
いた西軍の総大将、宇喜多秀家の部隊への攻
撃に加勢するよう合図を送った。
 東軍は、大谷隊が総崩れになると気勢をあ
げて西軍に襲いかかった。
 火箭での攻撃により合戦をこう着状態にし
た島津隊に、苦しめられた東軍の井伊直政、
松平忠吉、本多忠勝らの部隊が次々と押し寄
せる。そこに秀秋のいる小早川隊の本隊も加
わり、島津隊を包囲していった。
 島津隊は、三方を東軍に囲まれ、背後は越
えられない山で後退できず、逃げ場を失った。
 苦笑いして島津義弘が一言つぶやいた。
「ここが潮時か」
 それと同時に島津部隊に号令をかけた。
「よーし、残った火箭を発射後、突っ込む。
全員、わしの後に続け。発射」
 その声を合図に、残った火箭がすべて同時
に発射された。すると火箭は、東軍の一隊に
飛び込んで炸裂した。そこにいた将兵は業火
に包まれ、身体に火がついて逃げ惑い散らばっ
た。その業火に飛び込むように、島津隊が突
き進んで逃亡をはかった。
 秀秋は、総大将として参加した朝鮮出兵で、
島津家の進言により所領転封の恥辱をうけた
ことを思い出し、その悔しさから、我を忘れ
て猛追した。その勢いは誰にも止められなかっ
た。
 秀秋の意志が乗り移ったように小早川隊は、
逃げる島津隊を執拗に追った。そして、秀秋
はそのまま関ヶ原を退去するように小早川隊
全隊に合図を送った。
 戦では、何が起きるか分からない。特に、
終わりかけの混乱を利用して、家康が小早川
隊を攻撃する可能性もあったからだ。
 家康の目の前を、島津隊がかすめて駆け抜
け、その後からすぐに秀秋を先頭に、小早川
隊が駆けていった。
 家康がのけぞりながら叫んだ。
「やつを追え」
 そして、後ずさりして尻餅をついた。
 慌てて駆け寄る家臣に、家康の号令は聞こ
えていなかった。
 家康の側にいたアダムスは、日本人の戦い
方の多様さに呆然として、恐れさえ感じてい
た。
 戦場を抜け出た島津義弘の甥、豊久は逃げ
る途中で、東軍の部隊に追いつかれ、闘って
討死した。そして、義弘の家臣、阿多盛惇は
義弘に成りすまし、東軍をひきつけて自刃し
た。
 幾多の戦で勇猛を轟かせた島津隊の千五百
人の兵の中で最後まで生き残って、領地の薩
摩まで戻れたのは、義弘を含め八十数人とい
う無残な状態だった。
 最初から戦っていた部隊が疲れていたとは
いえ、あれだけこう着状態が続いていた戦い
も、小早川隊が出陣して、わずかな時間で東
軍の逆転勝利が決定的になったのだ。